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みやしたの気まぐれblog

鉄道とか野球とか食べ物とかMacとか、日々の気まぐれ記録。更新も気まぐれ。

2020/8/29-30 東北を徐々に南下する旅 中編

2020-10-31 22:38:07 | 乗り鉄
8/29-30で行ってきた東北旅行の中編です。

今回ちょっと想定が甘くて、中編がほぼ2回分の画像枚数になってしまいました。最近はいつも記事を書くときに、1回30〜35枚くらいとなるように、大雑把な予想を立てて構成するんですが、思ったより載せたい写真が多く、今回56枚になっています。

28日の朝に東北新幹線で東京から八戸へ向かい、キハE130系500番台に置き換わってから初めて八戸線に乗車し、久慈までやってきました。
ここから先は、ひたすらに三陸鉄道リアス線を南下します。


三陸鉄道久慈駅。三陸鉄道の北の拠点であり、JRの久慈駅の隣にあります


改札業務は行っておらず、きっぷを券売機か窓口で購入したら、そのまま構内へ入ります。これは入ったところのあった物



入線してくる三陸鉄道36-700形


36-700形の標準塗装車で宮古へ向かいます。現在の三陸鉄道は、開業時車両の36-100形、36-200形は激減し、36-700形が主力として活躍しています



36-700形の車内。ボックスシートにテーブルがついており、居住性は良好。車椅子対応のトイレもあり、長時間の乗車も問題ありません


久慈駅を出発。以前は久慈駅が北リアス線の拠点として主だった車両がここに置かれていたのですが、今回は36-100形か200形が1両いただけでした


陸中野田のあたり。ブルーシートをかぶせられているのは、何かの建設資材か?


十府ヶ浦に作られた水門。震災以前から水門はありましたけど、作り直されたんだったかな




2011年の東日本大震災の前は、陸中野田〜野田玉川の間は防風林があって、海を望むことはで来ませんでした。それが震災により防風林が完全に消失。海が見える区間になってしまったのですが、堤防の完成により再び海の見えない区間になりました


十府ヶ浦海岸駅の駅名標。この駅は震災後の2017年に開業しました。駅周辺はほとんど何もありません



野田玉川〜堀内の間にある安家川の橋梁。非常に高い所から海を見下ろせます。反対側の中州にあるのは鮭の孵化場。震災の津波でこの辺りは一度壊滅しています。鮭の孵化場はすぐに再建されたのですが、数年後に台風でまたも大きな被害を受けました。今回は、以前通った時には無かった大きな橋が建設中でした。参考までに、震災2ヶ月前に通った時の写真は冬の北東北の旅 その7「三陸鉄道北リアス線で宮古へ」に掲載されています


堀内駅に着きました


この駅は、NHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で袖ヶ浜駅として出ていた駅です


記念撮影用に数分間停車しました


美しい入り江。ここも震災の津波で壊滅した場所でした



田野畑駅を出たところに現れる、平井賀川の水門。水門の上に三陸鉄道の車両に模した塗装の建物があります。震災前からあったのですが、堤防の嵩上げに合わせて水門ごと作り直されています。震災前は、川の左右に民家もあったのですが、津波で全て無くなり、新しく建てられている1軒の建物以外の場所は雑草が生い茂っています


島越駅。震災前は高架線の途中に洋館風の建物で駅舎が作られていましたが、津波で高架線もろとも壊されてしまい、田野畑〜小本(現岩泉小本)は北リアス線では最後の復旧区間になりました。現在は内陸沿いの岡の上に作られています


震災から9年以上経過しましたが、堤防や水門の工事がまだ終わったわけではありません。未だ工事中の箇所はたくさんあります


大規模なソーラー発電と、かつて家があったことを偲ばせる区画。田老駅の辺りです


田老駅の駅名標


田老駅では行き違いもありました


やがて列車は宮古へ到着。ここで、以前は久慈にいた車両達が宮古にいることがわかりました




36-R形レトロ調車両と、36-200形


山田線には、臨時のHB-E300系リゾートあすなろが入線していました


宮古駅江の駅名標


黒字化を願って、以前から置かれている人形ですが・・・新型コロナの影響で、現在は最悪の赤字に・・・



宮古からは盛行きに乗り換えます。車両は36-700形ですが、補聴器販売のリオネットの広告車になっていました。宮古から釜石までは旧山田線の区間です


岩手船越で行き違い待ちの停車



やってきたのはレトロ調気動車の36-R形でした


釜石に近づいてきたあたりの大きな水門。多分大槌川のもの


津波被害のがれき撤去はだいぶ前に終わり、土地の嵩上げとか更地化はしたけど、そこで終わっているという土地も多数。この辺りはまだ堤防建設中ということもありますが


釜石駅に到着。ここでしばらく停車


釜石線の快速「はまゆり」用のキハ110系の姿が



釜石線の列車に妙に人が集まっているなと思ったら、ラッピング列車の出発式とのことでした。ただ、窓の下側だけのラッピングだと、広告とは言え車体全体をラッピングしている乗ってきた36-700形に比べると、しょぼさがめだつ・・・


南リアス線範囲に入り、唐丹駅で標準塗装の36-700形と行き違いに




そういや、車内のつり革の一部がこんなのになっていました。ラグビーボールと鮭の頭ですね


盛駅に到着。リアス線の区間乗車はしていましたけど、全線通しでの乗車は今回が初めてでした


三陸鉄道盛駅


JR盛駅。JRは大船渡線の気仙沼〜盛のBRT区間が鉄道線としては廃止されたので、すでに鉄道駅では無くバス駅なのですが





何度か来ている盛で、今回初めて岩手開発鉄道の石灰石輸送列車の動いている所を見ることができました。岩手開発鉄道は、太平洋セメントを親会社とする第三セクターの貨物専門鉄道。貨物専門と言っても、JRとも繋がっていないので、自社線内で石灰石輸送のみを行っている専門鉄道です。1992年までは旅客営業もあったそうですが

この後は、大船渡線BRTと、大船渡線の普通列車を乗り継いで一ノ関まで行って宿泊しました。
この間、日が暮れたのと、朝からの移動で疲れていたこともあって写真を全然撮ってませんでした。

後編に続きます。
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銚子電鉄並みのしぶとさ (通りすがり)
2020-11-01 22:16:47
こんばんは、一気に冬に突っ込んた陽気が続いてますね。インフル共々お気を付けください。

>久慈駅
一瞬沖縄の駅かと思う位の色遣いと雰囲気があります。

>開業時車両
三陸鉄道と言えばクの字型と連想してしまう位、長らく鉄道の顔だったと思います。確か200形はトイレだかジュースの自販機があるのが違いだった気がします。

>36-R形
見間違えかも知れませんが、どう見ても以前横浜博で宮下公園の貨物線を利用して走行していた宝くじ号に見えました。

それにしても3.11や台風19号と災難に見舞われても逞しく生き残る様は東北の銚子電鉄ですか?と言いたくなるくらいのしぶとさです。安易に消えるのではなく、しぶとさを発揮して生き残ってこそ地元の鉄道、と思えます。

>岩手開発鉄道
この鉄道名を聞いて二枚窓の食パン型や元夕張鉄道を連想してしまうのは私だけでしょうか。しばらくは2両とも駅構内に留置されていたのですけどね。どちらの走行音も、これぞディーゼルカーって感じで力強くて好きでした。青森の南部縦貫みたいに動態保存でもして観光用に生かせれば、と残念でなりません。
最も夕張鉄道出身の方は運転や手入れがシャレにならないほど大変と聞いてましたが。
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Re: 銚子電鉄並みのしぶとさ (みやした)
2020-11-01 23:13:57
久慈駅はいかにも第三セクターな感じの駅ですね。沖縄というと、沖縄都市モノレールになってしまうので、あちらは多摩都市モノレールの駅が必然的にそっくりです

36-200形は、36-100形の車内に自販機があるタイプです。トイレはどちらもありますね

36-R形は新造車で、横浜博で動いていた36-300・400形はもう廃車されています。確か、ミャンマーに渡っていますね

三陸鉄道は銚子電鉄と違って、地元の意向で存続している第三セクターですしね。人口減で利用者は減っていますけど、地元利用者は銚子電鉄よりも多いです

岩手開発鉄道の旅客営業は中学生のころに無くなったので、全く姿を知りません。今見ても、とても旅客需要があるような場所に見えません。観光用の動態保存にしても、場所が本線から大きくはずれた盛では難しかったでしょうね・・・・そもそも当時だと観光用動態保存という概念も無かったでしょうけど
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