
6/9-10の旅行の続きです。
武豊駅に到着して、駅から線路の延長方向に歩きます。今回の訪問目的の1つはキハ25形だったのですが、もう1つが武豊駅から海側に昔あった、武豊港駅跡の転車台を見ることです。何年か前のJTB時刻表で紹介されていたし、鉄道系のニュース記事にもなっていたことがあるので、鉄道ファンにはそれなりに知られている物ですが、見に行くのは今回が初めてです。
場所的には駅から道沿いに歩いて行けば良く、距離にして約1.1km。15分も歩けば到着しますので遠くはありません。途中までは貨物線の「廃線跡」の性格を残す場所もありますので、手軽に廃線跡散策も出来ますね。

駅を出て、まだ鉄道用地の金網越しに見える取り外された橋梁。「立切川橋りょう1997年3月塗装」と書かれていて、まだ使えそうではある

少し歩くと川を渡る。明らかに、元は鉄道橋があったのだろうという土台が残る

反対側。建物はJR東海管理になっている。ちなみに、この川の名前は「堀川」で、立切川ではない

同じ川の別の橋にはちゃんと堀川と書かれている

線路跡に作られた後田ポケットパーク

主要観光ポイント等への距離が書かれている

道沿いに歩いていくと「里中」という交差点の所に白いテントが見えてくる。ここが目的の場所
武豊線は明治19(1988)年に開業した中部地方では最初の鉄道路線で、なぜこの地に中部地方最初の鉄道が作られたかと言えば、当時は鉄道建設用の資材を海上輸送していた(輸入していた)ためで、港側から作っていく必要があったためです。このため、最初に開業したのは武豊ー熱田で、現在の東海道本線の一部を含んでいます。今回紹介している場所は、明治時代に武豊停車場として開業した場所で、その後、現在の位置に武豊駅が移転し、大正4(1915)年に武豊停車場だった場所が貨物線として再利用開始(当時は武豊駅構内扱いだったとのこと。昭和に入ってから武豊港駅となる)。しかしそれも昭和40(1965)年に廃止されました。平成11(1999)年になって、地元小学校の歴史探訪授業の中で転車台跡が発見され、その後復元されました。日本でも唯一の直角二線式転車台として非常に珍しい物です。

開業100年を記念した石碑。しかし建立年はなぜか文章に書いていない。多分、1888年開業なので、1988年なんだろうけど

石碑の横から入る

JR東海っぽい駅名標が設けられている

これが復元された転車台。昭和2(1927)年製の転車台だそうで、昭和45(1970)年に国鉄が行った調査では、全国唯一の直角二線式転車台とのこと

転車台なので、小さな滑車がレールに乗っていて回転するようになっている。このタイプは手動回転式である

文化庁指定の登録有形文化財である

柵に囲まれて一段低い位置にあるが、一応整備用に下りる階段は用意されている(施錠されているので通常は入れない)

よくよくレールの継ぎ目を見ると、転車台の方が高くなっている。周囲のレールは敷き直した物だろうし、そこまで厳密に復元しなかったのだろう

空洞になっている部分の下は雑草が生えている

転車台は白いテントで保護されていて、雨による錆を防いでいる

一緒に保存されていた腕木式信号機

ポイントの操作機もあるが、当然何所にも繋がっていない

遊具と言うより、ベンチ代わりのSL状の物もあった
全国でも唯一というこの転車台。なぜこんな直角二線式になったのかというと、どうも効率よく貨車を入れ替えするためだったようです。
武豊駅から歩いて行ける鉄道遺産ですので、武豊線訪問時には訪れておきたい場所ですね。
武豊駅に到着して、駅から線路の延長方向に歩きます。今回の訪問目的の1つはキハ25形だったのですが、もう1つが武豊駅から海側に昔あった、武豊港駅跡の転車台を見ることです。何年か前のJTB時刻表で紹介されていたし、鉄道系のニュース記事にもなっていたことがあるので、鉄道ファンにはそれなりに知られている物ですが、見に行くのは今回が初めてです。
場所的には駅から道沿いに歩いて行けば良く、距離にして約1.1km。15分も歩けば到着しますので遠くはありません。途中までは貨物線の「廃線跡」の性格を残す場所もありますので、手軽に廃線跡散策も出来ますね。

駅を出て、まだ鉄道用地の金網越しに見える取り外された橋梁。「立切川橋りょう1997年3月塗装」と書かれていて、まだ使えそうではある

少し歩くと川を渡る。明らかに、元は鉄道橋があったのだろうという土台が残る

反対側。建物はJR東海管理になっている。ちなみに、この川の名前は「堀川」で、立切川ではない

同じ川の別の橋にはちゃんと堀川と書かれている

線路跡に作られた後田ポケットパーク

主要観光ポイント等への距離が書かれている

道沿いに歩いていくと「里中」という交差点の所に白いテントが見えてくる。ここが目的の場所
武豊線は明治19(1988)年に開業した中部地方では最初の鉄道路線で、なぜこの地に中部地方最初の鉄道が作られたかと言えば、当時は鉄道建設用の資材を海上輸送していた(輸入していた)ためで、港側から作っていく必要があったためです。このため、最初に開業したのは武豊ー熱田で、現在の東海道本線の一部を含んでいます。今回紹介している場所は、明治時代に武豊停車場として開業した場所で、その後、現在の位置に武豊駅が移転し、大正4(1915)年に武豊停車場だった場所が貨物線として再利用開始(当時は武豊駅構内扱いだったとのこと。昭和に入ってから武豊港駅となる)。しかしそれも昭和40(1965)年に廃止されました。平成11(1999)年になって、地元小学校の歴史探訪授業の中で転車台跡が発見され、その後復元されました。日本でも唯一の直角二線式転車台として非常に珍しい物です。

開業100年を記念した石碑。しかし建立年はなぜか文章に書いていない。多分、1888年開業なので、1988年なんだろうけど

石碑の横から入る

JR東海っぽい駅名標が設けられている

これが復元された転車台。昭和2(1927)年製の転車台だそうで、昭和45(1970)年に国鉄が行った調査では、全国唯一の直角二線式転車台とのこと

転車台なので、小さな滑車がレールに乗っていて回転するようになっている。このタイプは手動回転式である

文化庁指定の登録有形文化財である

柵に囲まれて一段低い位置にあるが、一応整備用に下りる階段は用意されている(施錠されているので通常は入れない)

よくよくレールの継ぎ目を見ると、転車台の方が高くなっている。周囲のレールは敷き直した物だろうし、そこまで厳密に復元しなかったのだろう

空洞になっている部分の下は雑草が生えている

転車台は白いテントで保護されていて、雨による錆を防いでいる

一緒に保存されていた腕木式信号機

ポイントの操作機もあるが、当然何所にも繋がっていない

遊具と言うより、ベンチ代わりのSL状の物もあった
全国でも唯一というこの転車台。なぜこんな直角二線式になったのかというと、どうも効率よく貨車を入れ替えするためだったようです。
武豊駅から歩いて行ける鉄道遺産ですので、武豊線訪問時には訪れておきたい場所ですね。
それを公園にするところもなかなか。
それにしても武豊線と聞くと、私なんてどうしても競馬のアノお方が思い出されてしまします(笑)
転車台のところにあった説明文に書いてありました。こういった「歴史的構造物」や「化石」を発見するのって、意外と学校の課外授業って多いと思いますよ。
> それにしても武豊線と聞くと、私なんてどうしても競馬のアノお方が思い出されてしまします(笑)
競馬ファンならそうでしょうねえ(笑)。大学生くらいの頃にちょうど武豊の全盛期でしたし。最近は競馬見ないんでわからないですけど、調べてみるとだいぶリーディングジョッキーも入れ替わってますね。