最近 休日にはあまり街に出かけなくなっている。先週の3連休は取りだめのビデオ なかんずく映画 長時間番組を見ることにした。3日間で16時間のテレビ ビデオの観賞となった。中でも特に 友人に 推奨したいと思ったのは 1970年制作『家族』(監督 山田洋次)1度見終えたとき 映画シーン中 随所に出てくる 当時の日本列島各地の懐かしい風景 風俗を再度見たくなった。
40数年前の光景なのに 意外にも時の経過は感じなかった。当時 札幌市内に在住 帰郷の際 山口 大阪 東北 北海道 間を何度も往復し 沿線の車窓光景 風俗が アルバムを見るようで連続鑑賞となった。
長崎県伊王島に住む家族が、閉山間近かの炭鉱を追われ、新天地を求めて高度経済成長期の日本列島を北海道の農場へと向かう物語である。昭和45年(1970)4月6日から10日までの家族の旅を中心に、回想シーンをまじえながら展開している。慌しい時代背景の中で、夫婦と子供2人そして舅の5人が、数々の苦難に遭遇しながら身も心もポロポロになつてゆ<。まだ貧しかつたころの日本と必死に生きている日本人の姿を、当時の日本の風景と共に描いている。
あらすじ
一家は長崎県伊王島から、開拓のため北海道中標津町へ移住することとなった。酪農を夢見た主人公の決断によるものであった。妻の反対により、当初は、単身で移住することになっていたが、結局子供2人を含む家族で移住することになる。
同居していた父は、高齢であることから、福山市に住む次男夫婦の家に移ることになっていた。一家は、父親のため、まず福山に向かうも 次男夫婦が父親を歓迎していないことが明らかになり、結局、父親も北海道へ移住することになった。
こうして一家5人の列車を乗り継ぐ北海道への旅が始まった。大阪で日本万国博覧会を見物したのち、新幹線により 東京に到着する。具合を悪くした赤ん坊の長女の為に、急遽一泊する旅館を取るが、悪化させてしまい、近くの医院に駆け込むものの、治療が遅れ そのまま亡くなってしまう。一家は北海道へ急ぐため、火葬を取り急ぎ済まし、東北本線、青函連絡船をへて、北海道を東上する。
やっとまだ雪深い夜の中標津にたどり着いた頃には、一家は疲れ果てていた。次晩、一家は地元の人々から歓待をうけ、上機嫌の父源蔵は炭坑節を歌い、一家はようやく落ち着くかのようにみえた。しかし、源蔵は歓迎会の晩、布団に入ったまま息を引き取ってしまう
40数年前の光景なのに 意外にも時の経過は感じなかった。当時 札幌市内に在住 帰郷の際 山口 大阪 東北 北海道 間を何度も往復し 沿線の車窓光景 風俗が アルバムを見るようで連続鑑賞となった。
長崎県伊王島に住む家族が、閉山間近かの炭鉱を追われ、新天地を求めて高度経済成長期の日本列島を北海道の農場へと向かう物語である。昭和45年(1970)4月6日から10日までの家族の旅を中心に、回想シーンをまじえながら展開している。慌しい時代背景の中で、夫婦と子供2人そして舅の5人が、数々の苦難に遭遇しながら身も心もポロポロになつてゆ<。まだ貧しかつたころの日本と必死に生きている日本人の姿を、当時の日本の風景と共に描いている。
あらすじ
一家は長崎県伊王島から、開拓のため北海道中標津町へ移住することとなった。酪農を夢見た主人公の決断によるものであった。妻の反対により、当初は、単身で移住することになっていたが、結局子供2人を含む家族で移住することになる。
同居していた父は、高齢であることから、福山市に住む次男夫婦の家に移ることになっていた。一家は、父親のため、まず福山に向かうも 次男夫婦が父親を歓迎していないことが明らかになり、結局、父親も北海道へ移住することになった。
こうして一家5人の列車を乗り継ぐ北海道への旅が始まった。大阪で日本万国博覧会を見物したのち、新幹線により 東京に到着する。具合を悪くした赤ん坊の長女の為に、急遽一泊する旅館を取るが、悪化させてしまい、近くの医院に駆け込むものの、治療が遅れ そのまま亡くなってしまう。一家は北海道へ急ぐため、火葬を取り急ぎ済まし、東北本線、青函連絡船をへて、北海道を東上する。
やっとまだ雪深い夜の中標津にたどり着いた頃には、一家は疲れ果てていた。次晩、一家は地元の人々から歓待をうけ、上機嫌の父源蔵は炭坑節を歌い、一家はようやく落ち着くかのようにみえた。しかし、源蔵は歓迎会の晩、布団に入ったまま息を引き取ってしまう