ひねもす日報

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折に触れて考えること

2006年08月01日 | Weblog
折に触れて考える「議題」がある。
毎回、息が詰まりそうになるので、心身の調子が良いときに、
少しずつしか考えられない。
 少しずつ深いところへ及び
ながらもまた元に戻るのを繰り返す。これが、元に戻らず、
抵抗なく、底辺まで届いたら、そのときが
時期なのか?「お子問題」。

 車が好きなので、欲しい車は多々あるけれど、車の為に貯蓄している訳でも
なく、転勤族なので家を買う計画もなく。
 漫然に緩慢に、お金も時間も浪費している。
 博多から移住後、間もなく満3年。大変な時期もあったが、
それを乗り越えた今だから、考えることだ。

 そんな先日の深夜。ふと目に入った番組。
小学校の学級崩壊。担任の先生を追ったドキュメンタリー。
もう時代が違うなと痛感。怖い。先生可愛そう。観ていて
辛かった。

「一生子供は要らない」という覚悟もない(前はこの感覚に近かった
けれど)。でも、もし不妊だとしたら、それを改善する
治療はしないだろうなぁ、今の考えでは。
 当人としても、全然考えがまとまらないが、結婚しての、一つの
慣例?にならって、産もうと思っている。それが出来て、
おとなというか?結婚したから、次は子供!何故と聞かれれば、
「当たり前でしょ?」という感覚が今までまったく分からなかったが、
慣例に乗っ取るというわたしの考えは、それと同じか。それが遅れて
きただけで?

 もともと26直前の25で結婚して「30歳までは好きなことを
する」と決めた。お金も使うし、貯蓄もしない。海外にも、行ける
だけ行こうと思った。その決めた年齢まで、あと少しにり、
詰めて考え出したというのもあろう。一旦三十路と決めたからと
その数字を変えられぬ訳ではないけれど、一応、目安。

 自分が母親になること。全然よく分からない。親戚の子供をアヤシタリ
相手するのは面白いけれども、自分の子供。責任が違う。
この責任を、一生放棄していては、ならない気がするのだ。
責任を負う覚悟なんて、考えるだに重たい。けれど、
でもいつまで逃げ回るわけにもいかない。

 なので、折に触れて子供について考えるも、今回も
また頓挫?というくらい、息苦しくなった。今度はイケるかなと
思ったのだが。いつかイケるときがきたら、するりと産めるのか。

 自分が人の親になること。うぅむ??駄目だ、頭がぱんぱん。 
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