「存在」は、不思議です。
特に、孫の存在は、とても不思議です。(^^;ゞ
まず第一に、「無」から生じていることが不思議です。
今眼の前にいる「孫」の肉体は、どこからやってきたのでしょう。(^。^?
何を核にして、物質(肉体)が構成されたのか(^。^?
肉体だけでは、「孫」ではありませんね。人格としての「孫」は、どこからやってきたのか?
偶然に、ある人格を持って生まれてきて、「孫(存在)」があるのか?
母体から「赤ちゃん」が生まれることも、不思議ですが、
そんなことをいったら、種から花が咲くのも不思議でして、(^^;ゞ きりがありませんね。
とにかく何から何まで、不思議だらけの世界に、私たちは、「存在」しているようです。(*^_^*)
霊的にみれば、霊界でカタチ作られて、人格を持った「孫」が、肉体界に現れたようです。
この「存在と無」の不思議さを、無分別心で、裏から解釈したのが、
『人間と真実の生き方』だと思うのです。
つまり、人間とは、『「思い」の消えてゆく姿』だという解釈も出来るというわけです。
これが、『人間は、業想念の浄化装置』ということです。
これは同時に、「ゴチャゴチャと、自分中心に考えるほど、苦しくなる」ということも表わしています。(*^_^*)
本来、「存在」を考えることは出来ないと思うのです。
なぜなら、私たちは、「存在」の外に出られないから、「存在」を対象化できない。
つまり、「存在」は、「存在」を客観的には把握できないのです。(^^;ゞ
それにしても、「孫」は可愛いですね。想像力のない私は、
「孫」を持つまで、この「可愛さ」を知りませんでした。(^^;ゞ
その「かわいさ」は、どこからくるのでしょうか?
特に、孫の存在は、とても不思議です。(^^;ゞ
まず第一に、「無」から生じていることが不思議です。
今眼の前にいる「孫」の肉体は、どこからやってきたのでしょう。(^。^?
何を核にして、物質(肉体)が構成されたのか(^。^?
肉体だけでは、「孫」ではありませんね。人格としての「孫」は、どこからやってきたのか?
偶然に、ある人格を持って生まれてきて、「孫(存在)」があるのか?
母体から「赤ちゃん」が生まれることも、不思議ですが、
そんなことをいったら、種から花が咲くのも不思議でして、(^^;ゞ きりがありませんね。
とにかく何から何まで、不思議だらけの世界に、私たちは、「存在」しているようです。(*^_^*)
霊的にみれば、霊界でカタチ作られて、人格を持った「孫」が、肉体界に現れたようです。
この「存在と無」の不思議さを、無分別心で、裏から解釈したのが、
『人間と真実の生き方』だと思うのです。
つまり、人間とは、『「思い」の消えてゆく姿』だという解釈も出来るというわけです。
これが、『人間は、業想念の浄化装置』ということです。
これは同時に、「ゴチャゴチャと、自分中心に考えるほど、苦しくなる」ということも表わしています。(*^_^*)
本来、「存在」を考えることは出来ないと思うのです。
なぜなら、私たちは、「存在」の外に出られないから、「存在」を対象化できない。
つまり、「存在」は、「存在」を客観的には把握できないのです。(^^;ゞ
それにしても、「孫」は可愛いですね。想像力のない私は、
「孫」を持つまで、この「可愛さ」を知りませんでした。(^^;ゞ
その「かわいさ」は、どこからくるのでしょうか?