『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【730】『人間と真実の生き方』再考

2006-08-29 21:39:30 | 思索
『人間と真実の生き方』は短い文章ですが、不思議なことに、何回読んでも「発見」があるのです。
なぜ毎回、「発見」と感じるのかについて、考えてみました。

何故かというと、私たちはすぐに、『自分が神の分霊である』ことを忘れてしまうからなのです。
気付いていられるのは、「意識していられる間」だけなのです。(^^;ゞ

人間の脳には、1分間に2400もの想念が行き来するそうで、
自分でも気付かない間に、思考の渦に巻き込まれてしまい、
肉体界の三次元的な算段を、「ああだこうだ」としてしまうのです。(^^;ゞ

ですから、自然と「自分の意識」を忘れしまうのが、私たちなのです。

けれども、三次元の損得の算段をするよりは、把われなく、「世界平和の祈り」をすれば、
自ずから、「良い結果」になるのだそうです。(*^_^*)

後半の『消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起こし』も、
まさに、「不要な算段」をしないで、「世界平和の祈り」(善念)を唱えていれば、良いのですよ」ということなのです。

そのことを、ついつい忘れてしまうので、『人間と真実の生き方』を唱えると、「意識」が目覚めて、新たな発見をしたような気になるのです。(いつも、「新たな」と思えることが、不思議です!)(^。^?

この「何回読んでも、忘れる」というのは、一体何なのか?
そして、読むたびに、思い出すとは、何なのか?
私たちは、いったい何を思い出しているのでしょうか?(笑)

肉体界の損得の算段をして行動するよりは、「世界平和の祈り」をして、心を天に置いて、
把われなく行動したら、自然に自分の天命が完とうされるのだそうです。

「思考停止」、「下手な考え休むににたり」、「理性は、考えに考えて、間違う」ですね。(^^;ゞ

思考を停止する方法が、「世界平和の祈り」と「印」。
思考で、思考を止めることはできません。

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