「売上げの金額は、気にしない!」と思ってはいても、3日間も売れない日が続くと、落ち込んでくるのが、「私」なのです。(^^;ゞ実際に、お金が回らなくなってきますと、やきもきして、投げやりな気持ちに、なったりもします。(^^;ゞ
それで、あまりにもお客さんが来ないと、真剣に(笑)祈ったりしますが、それでも、お客さんが、来ないと、「お祈りの効果」を疑ったり、「信仰」そのものが嫌になったりします。(^^;ゞ
そういう紋々とした日々(笑)が3,4日続き、「売れる日」が来て、私にわかることは、
「世界平和の祈り」をすることと、実際にお客さんが来ることは、『関係がない』ということです。(^^;ゞ
祈っても、祈らなくても、「来るお客さんは来るし、来ないお客さんは来ない」のです!
けれども、そうかといって、「祈りは、意味がない」のかというと、そうではなくて、「祈っているからこそ、任せられる」ということなのです。このパラドクス(?)は、微妙でしょ。(*^_^*)
★「私が望む通りの未来が、いつでも、必ず訪れること(売れ続けること)」が、「良き事」ではないのです。
「売上げ」と「お祈り」の関係とは、売上げについて「あ~でもない。こ~でもない」と考える事が、『余計なこと』なのです。そのことがわかることが、『祈りの意味』なのです。(*^_^*)
簡単にいいますと、人事を尽くしたら、「あ~だ。こ~だ」と憂慮することなく、「かならず、良くなる」というイメージを描いて、後は『祈り(神さま)』にお任せしましょう」ということなのです。
本来は、すべては無限なる供給なのであり、あとは只々、『善いイメージ』を思い描けばよいのです。
★売上げが少ない日々が続いて、私が気付いたことは、「私には、金銭への把われがある」ということなのです。「お金がないと、生きてゆけない」と、私は思い込んでいたのです。
「本来、私たちに、お金はある」のです。
「必要なものは、与えられている」のです。「知足」なのです。
欲望に満ちた心が、「お金が、ない」と、想っているのです。
そういう意味で、「私は『神さま』に、試されていた」のです。
ほんとうは、「試していた」のは、神さまではなくて、自分の本心なのです。
自分で自分を、試したのです。(^^;ゞ
「修行中の私」は、常に「自分の本心」に、試されているのです。
それで、あまりにもお客さんが来ないと、真剣に(笑)祈ったりしますが、それでも、お客さんが、来ないと、「お祈りの効果」を疑ったり、「信仰」そのものが嫌になったりします。(^^;ゞ
そういう紋々とした日々(笑)が3,4日続き、「売れる日」が来て、私にわかることは、
「世界平和の祈り」をすることと、実際にお客さんが来ることは、『関係がない』ということです。(^^;ゞ
祈っても、祈らなくても、「来るお客さんは来るし、来ないお客さんは来ない」のです!
けれども、そうかといって、「祈りは、意味がない」のかというと、そうではなくて、「祈っているからこそ、任せられる」ということなのです。このパラドクス(?)は、微妙でしょ。(*^_^*)
★「私が望む通りの未来が、いつでも、必ず訪れること(売れ続けること)」が、「良き事」ではないのです。
「売上げ」と「お祈り」の関係とは、売上げについて「あ~でもない。こ~でもない」と考える事が、『余計なこと』なのです。そのことがわかることが、『祈りの意味』なのです。(*^_^*)
簡単にいいますと、人事を尽くしたら、「あ~だ。こ~だ」と憂慮することなく、「かならず、良くなる」というイメージを描いて、後は『祈り(神さま)』にお任せしましょう」ということなのです。
本来は、すべては無限なる供給なのであり、あとは只々、『善いイメージ』を思い描けばよいのです。
★売上げが少ない日々が続いて、私が気付いたことは、「私には、金銭への把われがある」ということなのです。「お金がないと、生きてゆけない」と、私は思い込んでいたのです。
「本来、私たちに、お金はある」のです。
「必要なものは、与えられている」のです。「知足」なのです。
欲望に満ちた心が、「お金が、ない」と、想っているのです。
そういう意味で、「私は『神さま』に、試されていた」のです。
ほんとうは、「試していた」のは、神さまではなくて、自分の本心なのです。
自分で自分を、試したのです。(^^;ゞ
「修行中の私」は、常に「自分の本心」に、試されているのです。
「自分の人生を自分で創る」
発想は、とても大切ですよね。
公務員やサラリーマンの方々とは
違ったエネルギーが、また必要に
なってきますよね。。。
私はつねづね、自営業は楽だと思っています。
特に、雇っている人がいない場合は、気が楽です。(^^;ゞ
私もサラリーマンを体験したことがありますが、
人間関係や気苦労が多くて、消耗することが多かったです。(^^;ゞ
気ままな思索をして、『知足日記』が書けるのは、自営業のお陰なのです。
と聞かれたら、
迷うことなく答えます。
「祈りと印を行じきる為の時間を創る」
いつも大きな仕事をしていたいです。
私たち、白光会員の本当の仕事は、「平和のために、働くこと」なのかもしれませんが、
残念ながら私はまだ、その心境に達していないみたいで、
「自分の周りが、上手くゆく」ことにばかりに、気が取られています。(^^;ゞ
今年の一月に田中理事長の講話を聴いたのですが、
「とにかく時間があれば、人類即神也の印を組んでください」とのことで、
私も素直にそれを実行しています。やってみて気付くことは、
「何よりも自分のためになっている」ということです。(^^;ゞ
「白光」の職員さんは、ほんとうに会員のことしか考えていないのだなあ。
私たちの守護霊さんに代わって、指導してくれているのだなあ」とつくづく、思いました。(^^;ゞ