気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

先生はウエイターに,僕は売り子に・・・

2016-05-29 09:05:02 | 小さな旅日記

 何の話?  或る女性から聴いた話です。 しか も、古い昔のことです。 

 彼女は英文学が好きで、家庭に入ってからも「言葉は動きと共に身につくもの。 物語の中の人を演じることで・・文学と英語を学ぶ・・」をライフワークに子供らに物語を英日のCDで聴かせてきた。                        初秋、自分自身の実務経験を身に着けたく一か月間米国のネブラスカ州の小学校の教師として日本語を教えてきた。その時に触れた文化の違いと驚きの或る話をしてくれた。  

 彼女がひとり訪れた都市は空港から荒涼たる道を一時間も走った州都のリンカーンだった。 この地では日本人が珍しいのか地元ニュースの話題になり、地元ラジオ局、地元新聞社からインタビューを受けたり、ライオンズクラブの会合にも招待されたりと歓迎を受けたそうだ。 

 子供らへの日本の文化と言葉を教えるだけでなく、地元社会にも日米交流の場で日本の伝統の文化の紹介して欲しいと頼まれていた。 幸にも日本舞踊を幼少の頃から20歳まで習い続けて舞台で発表したことのある「娘道成寺の藤娘」のさわりの部分を日本から持参した着物を着て踊って見せた。生け花は師範の資格が助けとなり、お茶もいくばくかの嗜みが大いに役に立ったそうだ。 こうした些細なことで地元社会に早く溶け込むことができたようだ。

 担当した生徒は高学年クラス。 高学年になると避けては通れない原爆投下の是非。 第二次世界大戦を早期に終わらせたのは「広島と長崎に原爆を投下した」事についても、英語版に翻訳された「想い出のサダコ Memories of Sadako]を教材に取り上げ、真摯に,この問題を小学生に取り組み考えさせていたのに敬服した。  

 授業が進むにつれて、生徒は特に書道に強い関心を抱き、自分の名前を漢字に置き換え、そこに漢字の持つ意味を教えると、感動をして呉れた笑顔が忘れられなかったそうだ。 

 学校での一日の始まりは教員室での教師たちの歓迎から始まり嬉しかったそうです。 毎朝、交代で手作りのクッキーを焼き、モーニングコーヒーで暖かく迎えてくれ、会話もいろんな担当科目の先生とでき、親しみがより増して授業への励みになったそうです。  

 宿泊先は校長宅が主で、数人の先生宅にも宿泊させていただき、いろんな先生がたの考え方にも触れられ有意義だったそうです。こうして、滞在を重ねるにつれ、異文化の中で知った教育現場に加え合理的なのか、不公平なのか考えさせられる事に気が付くようになった来たそうです。

 それは昼食時間になり、給食の食堂で数人の生徒がパンの売り子になっているのに気づき不信に思い訊ねたところ、貧しい子らに認めている特認バイトだったそうです。 認めるか否かはともかく生徒間に売り子と購入する子との立場の格差が教育上気になったが、綺麗ごとで単純にすませない現実的な処理には驚きを隠せなかった。                                 一方、先生方の給与も授業のない休暇の永い夏休みには支給されないようで、この狭い街のレストランで教師がウエイトレスとして働いているのには、これまた驚かされたそうです。 州が異なるが、或る大都市の郊外の小学校でも、予算がらみで外された科目の教師をPTAが負担して維持した話を聞いた。 あながち信じられない話ではない。 だだ、驚くばかり。

 ひと昔まえでは、教師は聖職と呼ばれ敬われていたのにと思うこの頃です。

終わり


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