気ままな旅


自分好みの歩みと共に・・

よくぞ頑張たぞ! 孫息子よ!

2019-02-05 12:33:49 | エッセイ

  孫息子はお爺ちゃんとの昼間の遊びの疲れで、もういつもなら白河夜船だが、今晩は何を察してか緊急退院した母の膝元を離れない。

 成田国際空港リムジンバスの出発の時刻だ。指定席でなく全席自由席だ。大事を取り始発バス停までバックするしかない。こうなると、空港まで延3時間の距離だ。高速道路走行だから揺れは少ない筈だ。 娘と医師と相談し決行することにした。 始発バス停まで夜道を婿と娘を乗せ地図を便りに車を走らせた。当時はまだ土地開発中途の暗闇だった。バスに乗せ数キロは伴走して確認をするほど神経をつかった。 

 娘から無事にSFの郊外ベイエリアの自宅に着いた報告と息子への声のメッセイジを送ってきたのを知り、お婆ちゃんと共に肩の荷が降りた。 後は、残った孫を寂しがらせないように全力を尽くせばよいのだ。連日の緊張で少々疲れた。騒ぎを大きくしたのは外ならね自分であるのに忘れないように努めねばと・・・。(ちかくの公園で・・・)

 これから迎える3か月間を無事に過ごすには問題はいろいろある。 (遊び場に出発)

 まず言葉の問題、次に遊び場所は何処にあるのか探さねば分からない。3番目に遊び相手はいるか、見つかるかそれは無理の筈だから爺様が遊び相手にならざるを得ない覚悟でいた。

 まず、我が家から200m程の近くに「公園デビュー」から始めた。お母様方はお友達になりたく、この機会に親同士の会話が弾んだが、口数の少ない孫はひとり世界に入っているのか、それとも言葉が分からず、ひとりにならざるを得ないのか幼児育成にとって大事な時期だ。そう考えると焦りだした。

 幼児育成教育にはたとえ3か月とは言え、男親と女親の両性の愛情、慈しみが必要なのではないかと自問した。時間が許す限りお婆ちゃんと二人タグで孫には接するように努めた。 

 「公園」の砂場、鉄棒、網、滑り台、ぶらんこを皮切りに車を武器に遊び場を求めて走った。 遂に、素敵な全館木造のログハウスを見つけた。床下にもぐり、壁の隙間にもぐり2階の天井裏にもぐり込むなど孫は狂ったかのように喜んで潜た。残念だが大人にはやや狭く、しかも爺の身体の動きが緩慢で声掛けで遊ぶしかできなかった。この遊びの間は全てお爺ちゃんの日本語だけだ。このお陰で日本語が急伸長したと自信を持って言える。  (ハロウイーンパーテイで仮装)

 お婆ちゃんが子どもらに教えている劇による英語が孫も好きになったのかセリフが言えなくても劇中キャストの出演者になりきって練習に参加してくるのだ。 どうも、言葉が英語も日本語も関係なく理解できるようになったからなのかも知れない。

 言葉とは本来修得するのに区別されるものではない。 2か月が過ぎた頃、こどもらのOB.OG達が作った発表会で会場内が暗くなり誰も気づかない中で、孫はひとり腹ばいになって舞台の端で演技をし出演してたのには皆が驚いた。それに気づいた出演者の子どもらは手を差し伸べて舞台にのせ一緒に参加させた。 (ボクも舞台に日本語で出演するぞ・・・)

 ことばの耳は完全に英語から日本語そして英語になり再び日本語になった。言語の修得は身体表現で自然と身に付くものだと孫に実証させられ、教えられたのでした。  

 そして今は亡き私の母の生存中だった本家の集いで末弟が連れて来た大きな家犬を見て孫は驚き、興奮のあまり咄嗟に何か声を発したくなったのか、しかも、「日本語」で発したフレーズが、今、お婆ちゃんと一緒に聞いていたCDテープに収録されていた日英のフレーズだったのです。それからは、咳を切ったかのように日本語が口から飛び出してきたのです。 (ボクは大きな犬を見てCDで聴いていた「噛まないで・・ボクは身体が小さいのだから・・・」日英語の日本語が咄嗟にでた瞬間の実写)

 それから数日後に、お爺ちゃんとお婆ちゃんと3人で母の待つサンフランシスコに向けて飛び立った。(ママに会いに帰る前夜・・お爺ちゃんの家で)

 (成田国際空港に向かうバスのなかで喜んでいる・・)

この短い期間、孫息子にとって言葉の切り替えが何不自由なく日本語そして英語さらに日本語へと操る技術を身に付ける機会を得ることができた。

 吾々爺婆にとっては「癒し」を十二分に貰うことができた。

孫にとっては2歳6っか月は余りにも幼く記憶にはないことだろう。でも、人間形成の肥やしには少なくてもなっただろうと思考している。

 余談だが孫の搭乗した機がサンフランシスコ国際空港に着陸態勢に入った時、「耳が痛い・・・」と日本語で叫んだ。その時、アテンダントの飴を握った多くの手が一斉に伸びてきた。[モテるとは羨ましいものだ]  機上から引き継がれた女子地上員からもひと言。孫は気もそぞろで、聞いちゃいない。ママに早く会いたいのが心境。未熟な日本語で理解不十分で良かったとホットした。

 こうして、波乱に満ちた短くも永くもあった日本滞在が無事に終えた。 

 今晩もお婆ちゃんと夕餉の折に、心を癒されたこの時の想い出を語りあった。   もう、18年も昔になった、あの日が懐かしい。 刻よ! 戻って呉れ!(やっと会えたママ。昼食を一緒にする孫。市内のレストランで・・。もう、離れたくない…)

終わり


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1 コメント

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お互いにすばらしい体験 (屋根裏人のワイコマです)
2019-02-05 18:28:43
お孫さんも、丁度手のかかる大変な時期
親元を離れて祖父母との三ヶ月・・
お互いによく無事故で無事に・・
今になると 素敵な貴重な体験であり
懐かしい思い出なんでしょうが・・
当時は、tiburontaさまも必死で
お孫さんも両国語で祖父母の言葉や
文化を学びつつ・・食事や、入浴や
トイレや就寝・・病気になられちゃ
困るし健康にはひときわ心を配られ
毎日を面白おかしく楽しく過ごす工夫
など・・ほんと お疲れ様でした
そのおかげでいまこうして懐かしく
思い出を語ることが出来ますね
お孫さんがこのBlogを詠みました何というのでしょうね??
すばらしい体験談を、ありがとうございました
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