幼い子供の口から出る言葉は珠玉の輝きをもつものが多い。しかし、書き止めておくことがなく忘れ去られてしまうものである。短命と言うしかない。
幸いにして憶えているのがあった。
1.2歳になったばかりの男の子である。昼間、父に連れられドライブに出掛けた。昔の運転席で分かれていない長椅子のような平らな大きな車の助手席に寝かされていた。 恐らく見えるのはフロントガラス越しに青い澄み切った空だった思う。
眼をしばたたせ、何やら懸命に眼を開き瞬きもこらえてる様子をしていた。
「Tちゃん どうしたの?」
未だ、言葉が良く通じ合うのには不安があった。でも、何んでも分かっているようだ。
突然、口からでた言葉は
「お目めを瞑ると、夜がくる」
しきりに眼を瞑らない懸命な努力をしていた。
2.男の子は三年生になり、何事も拘束されるのは苦手のような子だった。本が好きで何時しかその世界に入り込み、そうなるともう何を言っても聞こえない。
一年生の或る教室掃除の時、読書に夢中になり邪魔で掃除ができないので、先生に座っまま椅子ごと運ばれたことがある。 学校図書館の本は全て読破すると言うほどだった。
窮屈な授業から脱出したかったのだろう国語の時間に作詞し、大学を卒業したばかりの若い女の先生を感激させた。
窓ガラス 光のトンネル だけど通れない
よっぽど窮屈な教室から抜け出したかったのだろう。
(その後、六年の年に母校の校歌を作詞。作曲は故団 伊玖磨先生)
3.言葉ではないが、幼児でなくては発想が思いつかないことがある。
祖母が心臓が悪く、電池の埋め込みの手術をした。大人たちの話を聞いていたのだろう当時、幼児だった男の子は
「おばあちゃんは良いな~。もう、死なないのだから」
死と言う言葉をどこまで理解してたかは分からない。
この男の子の話を聞いて、大人も純粋な子供の心に戻れればと思うこの頃です。
終わり
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