昭和35年頃から独身時代が終えるまで続いたケチンボでユニークな旅の話です。
当時、父と或る雑談をしていて学生時代の旅の話になり、寄宿舎住まいの学生は貧乏旅行を楽しんだ良い時代だったと言う。その話に触発され仲間とケチンボ旅行をしようと考えた。
親元から出勤してる独身者はいいが、独身寮住まいの独身者は5月の連休は身の置き場のない時間の浪費に困窮していた。順番待ちでの洗濯、月一度の部屋掃除これとて時間は余る。金は飲み代で財布も空ぽ。
入社同期の悪ガキ5人が集まった。父から聞いた貧乏旅行の話をした。時代が違うので0円とはいかない。
そこで、ルールを決めた。
1.行き先は決めない。風の吹くまま、気の向くままに・・
2.予算はひとり1000円。そ~と心配だからと隠し金の持参禁止。
3.旅の全ての決定権は一人に決めて金を預ける。
4.旅行日程は一応2泊3日とする。
5.交通手段は会社の車。顔パスで借りた。5人なので1台で乗れる。
この魅力ある面白さに逆らえず結婚式招待辞退をせざるをえないことも発生した。 では出発しよう。
車は会社の駐車場に置いてある。必然的に集合は駐車場に決まる。そこで行き先の方角を決める。国道Root17なら・・Root4なら・・Roo2なら・・かな・・何処へ行こうか・・国道Root17で信州方面にしよう。
或る年の休みに入る前日に噂を耳にしたのか課長に呼ばれた。 「いつもの仲間で旅行をするそうだが、何処に行くのかね」と聞いてきた。 逆らう訳ではないが「決めてません」 驚いた顔で 「え~明日だろう。北か南かは決めてるだろう」 と、訝る声で・・ 「いえ、明日、集まってから決めます」 呆れた課長は「楽しんで来いよ。気をつけて行って来い」と笑って送り出してくれた。もう、その先輩もいない。
今回はK君に決定権を委ね西に向いてR17号線を走るこになった。 朝早く集合したので親元組3人は朝飯抜きなので、早い昼食を期待した。 車は休日で車も人もいないオフイス街を出発した。車中では昼飯には「らー麺」が良いとか話がでるが、一向に店の前を通っても止まれの指示がでない。
遂に「何を食べるんだよ」と聞いた。「抜きで走る」「え~何で・・」「その分夜を・・・」と言う。ルールだから従わざるを得ない。偉いやつを選んだものだと・・・。時遅し。
泊まる旅館は決めていないのだ。とある山の温泉地で一軒一軒廻ったが埃を被った靴をジロリと一瞥し「塞がってます」。戦術を変えて人を変え、しかも吸えない煙草を咥え声を中年風にしての交渉をしてやっと泊まれた。午後8時にやっと部屋に。夕食は無理。頭を下げてカツ丼の出前を頼む始末。
当時はコンビニが有るわけでなし。田舎道には駄菓子屋もない。でも車中での会話を楽しんだ。旅館交渉は慣れてきた。失敗もある。厚生省の認可はあるのかと尋ね、女将に叱られたりでも、有名な温泉地の旅館に泊まれた。
ここでK君の本領発揮となる。何と、この若造の旅行に芸者を頼んだのだ。だが、1時間だけとは恐れ入った。時間追加をしないので、行き場のない芸者は「ここに居させて呉れ」と将棋をしている傍にいて観戦するしかない。可哀想だった。
風呂場に行けば、まだ温泉が湯船の底10cmには参った。
まだまだ、面白い体験をした。書ききれない。
若い連中に密かに話題になり、女の子からも参加希望者がでる始末となる。 幼稚園児の保護者でないので断るのに苦労した。
いつしか独身者5人も結婚し「けちんぼ旅行」は消滅した。 傘寿を迎えた5人で再燃は無理だな。悲しいものだ。
50年も昔の想い出話でした。
終わり
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