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大津市・穴太遺跡 渤海使がもたらしたか? 平安時代の「腰帯具」出土

2022年10月30日 | Weblog
 大津市文化財保護課は30日、同市弥生町の穴太(あのう)遺跡の発掘調査で、平安時代(9世紀後半~10世紀)の小川の跡から金銅製の腰帯具(ようたいぐ)の巡方部分(2.7cm×3.2cm)が出土したと発表した。腰帯具には忍冬唐草文と呼ばれる文様があり、当時日本と直接の交易のない契丹系の文様要素があるとし、朝鮮半島の北で栄えた渤海の使者からもたらされたものとみている。
 今回発見された腰帯具は、韓国・済州島の龍潭洞遺跡で見つかったものと文様が一致したという。
[参考:共同通信、毎日新聞、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 穴太遺跡
 渤海
 腰帯(具)
 済州龍潭洞

渤海使が日本にやって来たことは、『続日本紀』巻十神亀四年(727)を初めとして、延喜二十年(920)までの間に多数書き残されている。
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済州・西帰浦市・江汀洞遺跡 初期鉄器時代の松菊里型住居跡などが出土

2011年10月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 韓国文化財庁は24日、西帰浦市江汀村済州海軍基地建設現場(江汀洞遺跡・강정동유적)で文化財発掘調査専門家検討会議を開催した。
 済州文化遺産研究院が発掘調査を行っている6つの発掘調査区域のうち、1つから耽羅成立期(初期鉄器時代)に当たる松菊里型住居跡26棟などが確認された。別の1つからは同じ時期の掘立柱住居建物跡1棟など。
 これまで発掘された住居跡が、三陽洞集落から和順里集落へ変化する過渡期的形態を見せるとしている。
 土器類は、赤褐色硬質土器、外反口緣壺(외반구연호)が主流で、把手付土器などが出土している。 土器類大部分も三陽洞式土器から外都洞式土器(외도동식토기)に転換される過程としている。
 検討会議に参加した一人からは、密集度が落ちるという意見もあるが、まだ早計との反対意見もある。
[参考:聨合ニュース]

 他の新聞社のニュースを見てみると、基地建設優先で事が進んでおり、文化財保護が2の次になっているとの報道もある。

過去の関連ニュース・情報
 2011.5.10 済州龍潭洞 耽羅国時代の中心遺跡を発掘し多量の遺物が出土
 松菊里型住居跡

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済州龍潭洞 耽羅国時代の中心遺跡を発掘し多量の遺物が出土

2011年05月10日 | Weblog
 済州市は9日、海岸から約1.5km離れた場所にある龍潭2洞一帯で耽羅国時代住居跡約30基、掘立柱建物跡2基ほか焼成遺構、井戸跡、住居遺構など約100基の遺構を発掘し、多量の遺物が出土したと発表した。
[出土遺物]
■済州で作られた直立口縁土器、円形粘土帯土器、三角粘土帯土器、鉢形土器、赤褐色土器、把手付土器など
■外地産の灰青色打捺文土器、瓦質土器、軟質土器など
■磨製石斧(마제석부)、有溝石斧(유구석부)、石鑿(석착)、孤石(고석)、石棒(갈돌)、碾石(갈판)、石剣(片석검편)、石核(몸돌)、石齋(석재)
などの石器類
■紡錘車(방추차)と高杯形土器(고배형토기)(など土製品
■鉄製三脚灣入鏃(철제삼각만입촉)など鉄製品
■装身具の管玉

 今回の遺跡は、すでに調査された龍潭洞に位置した松菊里型集落遺跡の一部であるが、遺構密集度が非常に高く現れたとして、耽羅国時代の代表遺跡は済州市龍潭洞と三陽洞だが、龍潭洞は当時の中心生活地で、三陽洞は郊外と見ることができるとしている。
[参考:聯合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2010.7.26 慶南金海市・大甘里 青銅器時代の松菊里型住居跡が金海東部地域で初出土
 2008.11.19 佐賀県・みやき町 西寒水四本柳遺跡 九州北部で初の「花弁状住居」跡
 2008.7.1 済州・三陽洞 紀元前後の住居址があふれて出土
 2008.5.26 済州・三陽洞先史遺跡以前の青銅器時代・初期鉄器時代の遺跡を確認
 2008.9.11 東広島市・溝口4号遺跡 松菊里型住居跡出土

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