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済州・三陽洞 紀元前後の住居址があふれて出土

2008年07月01日 | Weblog
제주 삼양동서 기원전후 유적 쏟아져 済州・三陽洞で紀元前後の遺跡あふれて出土
済州地域埋蔵文化財専門調査機関の(財)耽羅埋蔵文化財研究院は、1999年に国史跡416号に指定された済州三陽洞遺跡の郊外周辺の地点(海岸から1kmほど入った元堂峰の麓)で一戸建て住宅建設予定地約150坪から、同時代の住居址14棟が確認されたことを発表した。
平面円形7棟と長方形6棟、そして方形1棟を含んだ住居跡遺跡14棟である。
この他にも、基礎なしでそのまま土地に木柱を打ち込む掘立柱建物址3棟と、正確な機能が不明な竪穴遺構(くぼみ跡) 8基、石列遺構 1ヶ所、その他無数の木柱跡があらわれた。
これら遺跡では、紀元前2世紀以後西暦2世紀頃までこの地域で集中して製作された赤褐色硬質土器が多数出土した。
さらに今回の調査では、平面長方形の住居地と円形の住居地が互いに重なった状態で確認されることにより、済州道が先史時代以後耽羅国時代に移行する過程で、先に登場した長方形住居地を円形住居地が代えたという考古学界通説は全面再検討が不可避になったとする。
特に今回の調査成果は、三陽洞遺跡の分布範囲が史跡指定区域よりはるかに広かったことを示した点で大きな意味を持つと調査団は評価した。
[参考:聯合ニュース]

<備考>
三陽洞先史遺跡(삼양동선사유적)は紀元前・後1世紀を中心にした時期の住居跡約230余基が確認された大規模の村遺跡。
5月25日にはこの付近より、青銅器時代で初期鉄器時代(BC300頃?)の住居跡と甕棺墓5基を含む墓、小型竪穴など540基余りの遺跡が確認されたばかり。

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