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茅ケ崎市・下寺尾七堂伽藍跡 第15次調査 大型掘立柱建物跡を確認 11/14現地説明会

2009年11月14日 | Weblog

下寺尾官衙遺跡群出土瓦類と懸仏。 2011.6.14「発掘された日本列島2011」(江戸東京博物館)にて撮影。

 茅ヶ崎市教育委員会は、古代寺院の遺跡・七堂伽藍跡(同市下寺尾149-2)の調査で大型掘立柱建物跡を確認した。伽藍配置を考える上での重要な建物の確認であり、仏像を安置する金堂など主要な建物の可能性があるという。
 これまでに、計15の穴の跡が確認され、うち建物を支える柱の穴の跡は9、庇を支えるものは6。穴の跡は約1m四方で、深さ70cm前後。東西に長い建物と推測されるという。
 また、今年の夏に行われた調査では、建物が「掘り込み地業」と呼ばれる、寺院建築などで行われる工法で造成されたことが確認された。掘り込み地業は東西方向約18m、南北方向15.6mの大きさで、規模の大きな建物であったことがうかがえるという。このことから、基壇があり、礎石の上に建つ瓦葺の建物であったと推測されている。
 現地見学会が、11月14日(土)午前10時および午後1時から開かれる。(小雨決行)
[神奈川新聞、茅ヶ崎市HP、神奈川県教育委員会HP]

過去のニュース
 2008.10.25下寺尾七堂伽藍跡 伽藍跡遺構見つかる



2013.2.27追記
 茅ヶ崎市のHPに「ちがさき丸ごと博物館」(第12号201.7.1)特集・下寺尾遺跡群が掲載されていた。
 約80m四方の大きさの範囲に主要な建物が配置された七堂伽藍跡とすぐそばに七世紀後半から8世紀前半にかけて営まれた高座郡衙が描かれたイラストがあり、その関係がわかる。
 高座郡衙は七世紀後半から8世紀前半にかけて営まれたとしているが、伽藍の方は奈良時代初期(7世紀末)の創建期となっている。創建の前後関係が微妙である。
 高座(こうざ)郡は、『日本書紀』に「高倉郡」の名が見え、後の平安時代に『和名抄』で「太加久良」と記されていることから、「たかくら」と呼ばれていたことがわかる。
 ちなみに、相模国一宮である寒川神社は高座郡の最も西にあり、雄略天皇の時期からあったとか、社殿が8世紀前葉に造られたとか。


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