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徳島市・川西遺跡 13世紀の将棋の駒「本横」(奔王)が出土

2009年03月13日 | Weblog

出土した将棋の駒。左下が「本横」の駒。(2011.6.14 「発掘された日本列島2011」江戸東京博物館にて撮影)

 徳島県埋蔵文化財センターが13日、川西遺跡(同市上八万町)の川跡から、「本横」と墨書きされた13世紀の将棋の駒が見つかったと発表した。
 センターは鎌倉-江戸時代に武士や貴族らが楽しんだ中将棋の駒「奔王(ほんおう)」(注1)の読みに適当な文字を当てたとみており、「付近に寺院があったようで、僧侶が遊んでいたのではないか」としている。
 駒は縦3・6cm、横2cmで、裏側に文字はなかった。「金将」2枚と無地の駒1枚があった。
 中将棋は、現在普及している縦横9マスの将棋と違い、縦横12マス。対戦者はそれぞれ46枚の駒を用い、奔王は飛車と角を合わせた動きができる。
 国内では興福寺(奈良市)境内から見つかった平安時代後半(11世紀)の駒(注2)が最古とされる。
 ほかに、漆器碗や下駄、櫛、木彫りの蓮花をあしらった仏具などの木製品が約2万点にも上り出土。木屑があることから、近くに木製品の生産工房があったらしい。
 扇などの装身具のほか、斎串(いぐし)、人形(ひとがた)などもあり、祭祀を行っていた様子もうかがえる。「クホ」「トミ」などとカタカナが書かれた木簡もあった。
 また、たくさんの素焼きの土器が完全な形のまま見つかり、密教仏具である独鈷杵(とっこしょ)を作るための土の鋳型も出土した。
[参考:共同通信、読売新聞、産経新聞]

コメント
(注1) 駒「奔王(ほんおう)」と「酔像」(注2)は、大将棋(15×15)にも中将棋(12×12)にも使われている。中将棋の盤あるいは中将棋だけで使われた駒が出土したわけではないので、13世紀に「中将棋」があったとは言い切れないし、記事の内容だけでは判断できない。

(注2)1056 興福寺旧境内から将棋の駒が出土。「王将」3枚、「金将」3枚、「銀将」1枚、「桂馬」1枚、「歩兵」5枚、そして、習書木簡に「歩兵」、「金将」とともに「酔像」の文字が墨書されているという。一緒に出土したものに「天喜六年」(1056)の年号があり、このころのものと考えられるという。[参考:「古式象棋と将棋の伝来」清水康二(考古学ジャーナル428.1998)]


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