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春日市・須玖遺跡群 弥生時代の基準10倍の分銅、10進法を利用か? 

2021年09月02日 | Weblog
 2020年、福岡県春日市の須玖遺跡群で、国内最古級の弥生時代中期前半~後期初め(紀元前2世紀~紀元1世紀)の石製の権(けん、分銅)8点が確認された。
 市教育委員会が1日、今回、同遺跡群で新たに基準とみられる権(約11グラム)の10倍の重さの権が確認されたと発表した。 市教委によると、弥生時代の10倍の権の発見は全国初で、計量に10進法が使われていたことを証明する重要な発見としている。
 1989年に発掘され、当時は用途不明の円筒形石製品とされていたが、重さや形状から権と特定した。同遺跡群ではこれまでに3倍、6倍、20倍、30倍の重さの権を確認している。権とみられる石製品は計10点となった。
[参考:共同通信、毎日新聞聞]

過去のニュース・情報
 2020.12.20 春日市・須玖遺跡群 紀元前2世紀頃の石製分銅が出土。国内最古。
魏志倭人伝に登場する奴国の王都とされる福岡県春日市の須玖(すぐ)遺跡群で、弥生時代中期前半(紀元前2世紀頃)の石製の計量用の重り「権(けん)」(分銅)が出土。重さの規格は韓国出土の権と共通しており、奴国が大陸の度量衡の制度をいち早く受容し、交易などに利用していたとみられる発見。 [参考:共同通信、毎日新聞、読売新聞]
 須玖
 分銅
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福岡県春日市・須玖タカウタ遺跡 把頭飾の土製鋳型が初出土

2017年07月27日 | Weblog
 福岡県春日市教委が25日、同市の須玖タカウタ遺跡で、弥生時代中期前半(紀元前2世紀ごろ)の「把頭飾」の土製鋳型とみられる破片(長さ3.5cm、幅2.6cm、厚さ2.7cm)が見つかったと発表した
 市教委によると、朝鮮半島を含め把頭飾の土製鋳型の出土は初めて。
 青銅製把頭飾は全国で約20点の出土例がある。この鋳型と同型の把頭飾は、吉野ケ里遺跡(佐賀県)や、岸田遺跡(福岡県)などから11点の出土例があるが、従来は朝鮮半島製と考えられていたが、今回の発見で国産の見方が強まったという。
[参考:共同通信、読売新聞、毎日新聞] 

過去の関連ニュース・情報
須玖タカウタ遺跡
 2015.6.02 国内最古の青銅鏡鋳型が出土
2014.11.12 弥生時代中期前半(紀元前2世紀)に生産された国内最古級の青銅器の鋳型(石製と土製)の破片が出土。有柄式銅剣の石製鋳型の出土例は朝鮮半島を含めて初めて。
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春日市・須玖岡本遺跡 国内最大級の甕棺墓が出土、中から銅剣と青銅製柄飾りが出土

2016年06月17日 | Weblog
 福岡県春日市教委は17日、同市の須玖(すぐ)岡本遺跡で、墓穴の大きさが国内最大級となる弥生時代中期前半(紀元前150年ごろ)の甕棺墓が見つかったと発表した。
 墓穴は縦5.2m、横3.9m。長さ約1mの甕を二つ合わせた甕棺から銅剣(約42cm)1点と、青銅製の柄飾り「把頭飾(はとうしょく)」(高さ約4.5cm、幅約5.5cm)1点が見つかった。柄飾りは一緒に見つかった銅剣の柄の先端に取り付けられていたとみられる。遺物周囲の土の表面からは複数種類の布の痕跡が多数確認された。遺物や遺体を布で何重にもくるんだ可能性があるとみている。
 須玖岡本遺跡一帯は魏志倭人伝に出てくる「奴国」の中枢部で、弥生時代有数の青銅器生産遺跡としても知られる。同遺跡では銅鏡30点以上を副葬した「王墓」とされる甕棺墓があり、今回の甕棺墓はこの王墓の時代よりやや古いが、位置は王墓から80mと近い。
[参考:毎日新聞、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 須玖岡本遺跡、須玖

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福岡県春日市・須玖タカウタ遺跡 国内最古の青銅鏡鋳型が出土

2015年06月02日 | Weblog
 福岡県春日市教委は27日、同市の須玖タカウタ遺跡で、弥生時代の青銅鏡「多鈕鏡」の鋳型(弥生時代中期前半、紀元前2世紀)が国内で初めて出土したと発表した。国内の青銅鏡生産の開始時期が200~150年遡る。
 多鈕鏡は国内に最初に流入した青銅鏡で、従来、朝鮮半島製とされていたが、今回の出土で国内での生産の可能性も出てきた。
 出土した鋳型は朝鮮半島産の滑石製で、復元すると直径15cmほどになる。「重弧文」を描く線の溝があった。年代や鈕の形状から、文様の線が細い「細文鏡」用の鋳型という。
[参考:共同通信、西日本新聞、毎日新聞、産経新聞、朝日新聞、読売新聞]

国内最古の銅鏡鋳型が出土…弥生中期前半

過去の関連ニュース・情報
2014.11.12 福岡県春日市・須玖タカウタ遺跡 国内最古級の鋳型出土
 福岡県春日市教委は12日、同市の須玖(すぐ)タカウタ遺跡で、弥生時代中期前半(紀元前2世紀)に生産された青銅器の鋳型(石製と土製)の破片が出土したと発表した。
 350㎡を調査。住居跡などから石製の鋳型の破片6点、土製の破片24点が出土した。破片の大きさは1cm〜十数cm四方。 銅剣や銅矛、銅戈(どうか)などの製作用だった。
 土製鋳型出土は九州では東小田峯遺跡(福岡県筑前町)に次いで2例目で、今回の鋳型はそれより古く、日本最古級ではないかとしている。
 銅剣の石製鋳型は、朝鮮半島に由来する柄を本体と一体に鋳造した有柄式銅剣のもので、有柄式銅剣の出土例は吉野ケ里遺跡(佐賀県)など国内3カ所の王墓クラスの遺跡から出土しているが、鋳型の出土例は朝鮮半島を含めて初という。ほかに、矛や銅鐸用もあった。
[参考:共同通信、西日本新聞、朝日新聞、毎日新聞]



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奈良県田原本町 唐古・鍵遺跡 弥生中期の北部九州の土器を発見

2013年11月16日 | Weblog


 田原本町教委が15日、弥生時代最大級の環濠集落遺跡、唐古・鍵遺跡(田原本町)で、弥生時代中期(約2200年前)頃の北部九州(筑前地域)の土器が初めて見つかったと発表した。 同遺跡では弥生中期後半の吉備地方の土器が過去に出土しているが、それ以前から北部九州との交流があったことを示すもの。 近畿の弥生時代の遺跡から北部九州の土器が見つかるのは初めて。
 1988年に、集落の最も内側にある大環濠(幅10m)の下層から出土した土器を整理中に見つけた。須玖(すぐ)式土器と呼ばれる甕の口縁部の一部で、破片の大きさは縦5・3cm、横約13cm、厚さ6〜8mmであるが、元の大きさは口径36cm、高さ40cm位とみられる。 口縁部は赤い彩色が施され、外側にL字形に折り曲げられていた。
 土器は16日から唐古・鍵考古学ミュージアム(田原本町)で展示される。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、読売新聞、鍵考古学ミュージアムHP]

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鳥取市・青谷上寺地遺跡 前漢時代の青銅製星雲文鏡が本州初出土

2011年01月13日 | Weblog
 鳥取県埋蔵文化財センターが12日、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡から弥生時代後期から終末期(紀元前1世紀前半)に中国・前漢で作られたとみられる青銅鏡「星雲文鏡(せいうんもんきょう)」の破片が見つかったと発表した。
 出土した星雲文鏡は、弥生時代終末期の溝跡で発見された。復元径6・9cmの円形の一部で、背面中央の突起「紐(ちゅう)」やひもを通す穴を含めて扇状に4分の1が残り、一辺は4.1cm、重量は33.2g。割れ方がきれいで、断面に磨いた跡があることから意図的に割った破鏡らしい。
 背面に配された4個の「乳(にゅう)」の一部や、乳の間に数個の突起を並べて曲線でつないだ「雲気(うんき)文様」など星座や雲を連想させる文様が認められた。
 県埋蔵文化財センターによると、漢鏡は年代別に7期に分けられ、星雲文鏡は3期目に古く、日本に中国鏡の流入が始まる時期のものという。国内では須玖(すく)岡本遺跡など福岡県内の弥生時代中期の遺跡から8面が出土したが、いずれも王墓の遺跡で、墓以外から見つかったのも本州で見つかったのも初めてという。
 青谷上寺地遺跡は弥生時代の集落跡で、これまでに多くの鉄器や古代中国の銅銭などが出土している。今回、年代別で3~5期(紀元前1世紀前半から1世紀後半)の前漢鏡(星雲文鏡1面、八禽鏡2面)がそれぞれ出土したこととなり、日本海沿岸地域の交易拠点としての位置付けを、さらに高めることになったとしている。
 出土した星雲文鏡の破片は同遺跡で出土した他の銅鏡とともに、鳥取市青谷町青谷の青谷上寺地遺跡展示館で、15日から30日まで公開される。月曜は休館。
[参考:共同通信、中国新聞、読売新聞、朝日新聞、日本海新聞、鳥取県埋蔵文化財センターHP]

百余国の一つか…鳥取の遺跡で前漢「星雲文鏡」(読売新聞) - goo ニュース

過去の関連ニュース・情報
 2009.19.23 青谷上寺地遺跡 2000年前の中国製「八禽鏡」破片が出土

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安中市・長谷津遺跡 竪穴住居間にトンネル跡

2009年07月15日 | Weblog
 群馬県埋蔵文化財調査事業団が今年4月から発掘調査中の長谷津遺跡(安中市西上磯部)で、出入り口とは別の外部に通じるトンネルを持つ珍しい構造の竪穴住居が複数、発見された。
 長谷津遺跡は碓井川の形成した河岸段丘の北縁にあり、県道の改良工事で発見され、12月までに発掘調査を予定している。弥生時代後期から古墳時代初期(3世紀後半から4世紀)にかけて作られたとみられ、6月末までの調査で、竪穴住居跡約30軒、周溝墓2基などが見つかっている。
 特に弥生時代後期とみられる竪穴住居は、縦10m、横6mと大型で、直径50cm前後のトンネルが壁から掘られ、隣の住居とつながっているものも見つかった。何の目的で設けられたものかは今のところ不明としているが、今後の分析が期待される。
 こうした構造を持つ住居は、福岡県春日市に数例ある。同市の須玖五反田遺跡は出土品から、ガラス工房跡とみられ、送風のためのトンネルだったと推定されている。長谷津遺跡では手がかりとなるようなものは見つかっておらず、隣の住居とつながった構造も非常に珍しいという。床面からは煮炊きをした跡も見つかっており、工房ではなく住居として使用されていたと推定している。
周溝墓は約10mの方形で、内側に礫を敷き詰めた埋葬場所が複数ある。周溝墓は住居より新しく、この場所が集落から墓地へと変わっていったことがうかがえるとする。
 現地説明会は18日午前10時~午後3時。(小雨決行)
[参考:毎日新聞、群馬県埋蔵文化財調査事業団HP]



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福岡県春日市 御陵遺跡 中国式銅剣の鋳型・全国初出土

2008年09月01日 | Weblog
 市教育委員会は1日、同市須玖北の弥生時代後期(一世紀)の「御陵遺跡」から、7月14‐30日にかけて行われた2次調査で、中国や朝鮮半島に由来する「中国式」に形状が近い銅剣の石製鋳型が出土したことを発表した。
 出土した鋳型は長さ約30cm、幅約10cm、厚さ約6cmの直方体。銅剣部分は長さ30cm、幅5cm。先端部分は欠損している。祭祀用の剣を作っていたものとみられる。側面には銅矛の型の一部と思われる溝があり、銅矛鋳型の一部を、銅剣鋳型に再加工したとみられる。
 竪穴住居跡から青銅かすとともに出土したことから、青銅器の工房跡と考えられるという。
 弥生時代の銅剣は「脊(むね)」と呼ばれる円柱状の軸がある細形がほとんどで、断面が偏平な中国式の出土例は少ない。
 細形銅剣の鋳型は弥生時代の青銅器の生産地とされる同市の須玖岡本遺跡群などで多数出土しているが、中国式銅剣とみられる鋳型が出土したのは全国初で、中国式銅剣が、国内でも生産されていた可能性があるという。
 中国式銅剣は1999年に立石遺跡(同市原町3丁目)で見つかっているが、出土例自体が少なく、大陸輸入説と国内生産説で主張が分かれていた。
 御陵遺跡は、弥生時代に福岡平野一帯で大きな勢力を誇った奴国の中心で須玖岡本遺跡(同市岡本)の北西750mにある。
 出土した鋳型は、「奴国の丘歴史資料館」(同市岡本3丁目)で6日から始まる同館10周年特別記念「奴国の生産遺跡」展で一般公開される。10月26日まで。
[参考:産経新聞、西日本新聞、毎日新聞]

2000.5.9付の朝日新聞、「立石遺跡(弥生後期、1世紀ごろ) 中国戦国時代の銅剣出土」の記事では、
 出土した銅剣は、柄(つか)の中に入る部分である茎(なかご)を含め、長さが28.3cm、幅5.4cm、厚さ0.8cm。3つに割れており、切っ先の部分は欠けていた。復元すると長さ50cm前後。
 茎を持つ形式は珍しく、朝鮮半島では1例、中国でも数少ない。表面は滑らかで良質な銅を使ったとみられ、中国で一般的なものより幅広。日本では初めて見つかったタイプ。有力首長の墓前祭祀に使われたらしく、他に類例がない
 市教委は、国内には鋳型が見つかっていないことなどから、この銅剣は中国産で、中国・漢王朝が設けた朝鮮半島での出先機関、楽浪郡を経由して日本に入ってきたのではないか、とみている。
 などと記していた。
[参考:2000.5.9朝日新聞]
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