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福岡県春日市 御陵遺跡 中国式銅剣の鋳型・全国初出土

2008年09月01日 | Weblog
 市教育委員会は1日、同市須玖北の弥生時代後期(一世紀)の「御陵遺跡」から、7月14‐30日にかけて行われた2次調査で、中国や朝鮮半島に由来する「中国式」に形状が近い銅剣の石製鋳型が出土したことを発表した。
 出土した鋳型は長さ約30cm、幅約10cm、厚さ約6cmの直方体。銅剣部分は長さ30cm、幅5cm。先端部分は欠損している。祭祀用の剣を作っていたものとみられる。側面には銅矛の型の一部と思われる溝があり、銅矛鋳型の一部を、銅剣鋳型に再加工したとみられる。
 竪穴住居跡から青銅かすとともに出土したことから、青銅器の工房跡と考えられるという。
 弥生時代の銅剣は「脊(むね)」と呼ばれる円柱状の軸がある細形がほとんどで、断面が偏平な中国式の出土例は少ない。
 細形銅剣の鋳型は弥生時代の青銅器の生産地とされる同市の須玖岡本遺跡群などで多数出土しているが、中国式銅剣とみられる鋳型が出土したのは全国初で、中国式銅剣が、国内でも生産されていた可能性があるという。
 中国式銅剣は1999年に立石遺跡(同市原町3丁目)で見つかっているが、出土例自体が少なく、大陸輸入説と国内生産説で主張が分かれていた。
 御陵遺跡は、弥生時代に福岡平野一帯で大きな勢力を誇った奴国の中心で須玖岡本遺跡(同市岡本)の北西750mにある。
 出土した鋳型は、「奴国の丘歴史資料館」(同市岡本3丁目)で6日から始まる同館10周年特別記念「奴国の生産遺跡」展で一般公開される。10月26日まで。
[参考:産経新聞、西日本新聞、毎日新聞]

2000.5.9付の朝日新聞、「立石遺跡(弥生後期、1世紀ごろ) 中国戦国時代の銅剣出土」の記事では、
 出土した銅剣は、柄(つか)の中に入る部分である茎(なかご)を含め、長さが28.3cm、幅5.4cm、厚さ0.8cm。3つに割れており、切っ先の部分は欠けていた。復元すると長さ50cm前後。
 茎を持つ形式は珍しく、朝鮮半島では1例、中国でも数少ない。表面は滑らかで良質な銅を使ったとみられ、中国で一般的なものより幅広。日本では初めて見つかったタイプ。有力首長の墓前祭祀に使われたらしく、他に類例がない
 市教委は、国内には鋳型が見つかっていないことなどから、この銅剣は中国産で、中国・漢王朝が設けた朝鮮半島での出先機関、楽浪郡を経由して日本に入ってきたのではないか、とみている。
 などと記していた。
[参考:2000.5.9朝日新聞]

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