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南あわじ市松帆地区 松帆銅鐸 朝鮮半島産の鉛を使用

2018年06月28日 | Weblog
 南あわじ市教委が27日、2015年にみつかった「松帆銅鐸」の科学分析(奈良文化財研究所に依頼)を実施した結果、朝鮮半島産の鉛を含むなど弥生時代中期前半(紀元前4~前3世紀)の最古級の銅鐸と同じ特徴を持つことが分かったと発表した。紀元前にさかのぼって最古の事例となる可能性が強まった。
[参考:共同通信、神戸新聞、奈良新聞、毎日新聞、朝日新聞]

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 松帆銅鐸


淡路島で発見「松帆銅鐸」 原料に朝鮮半島産の鉛 成分分析で判明
松帆銅鐸、最古の埋納か 淡路島から出土
淡路島銅鐸、朝鮮半島の鉛使用か 成分分析で判明
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南あわじ市松帆地区 松帆銅鐸 科学的な年代測定により紀元前に埋納か

2017年06月08日 | Weblog
 兵庫県教委などは6日、南あわじ市で出土した「松帆銅鐸(まつほどうたく)」(弥生時代前期末~中期前半)が科学的な年代測定により紀元前4~同2世紀ごろに埋められたとみられると発表した。銅鐸に付着した植物から、初めて特定した。弥生中期末(紀元前後)に一斉に埋められたという有力説が否定され、それより150年以上古く、紀元前に遡る可能性が出て来た。
 松帆銅鐸は2015年4月、計7個が出土。大小の銅鐸が重ねられた3組のうち、内側の3個(高さ約21~22cm)の内面と、その中につられていた舌(ぜつ)に、埋められた際に混入したとみられる樹皮やイネ科植物の茎やススキ属の葉などが付着していた。これらの植物片8点を奈良文化財研究所が民間調査会社に依頼して放射性炭素年代測定した結果、1個の銅鐸とその舌から採取した4点が、いずれも紀元前4~同2世紀のものと判定された。
[参考:神戸新聞、読売新聞、産経新聞、朝日新聞、毎日新聞]

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 松帆銅鐸


松帆銅鐸、紀元前に埋納 定説より150年古く
【淡路島・松帆銅鐸出土】科学的測定で「埋納時期」解明に前進 新たな謎も
淡路島で発見の銅鐸、紀元前に埋設 付着植物で特定
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南あわじ市・入田稲荷前遺跡 後漢初頭に造られた貨幣「貨泉」が3枚出土

2017年05月19日 | Weblog

 南淡路市教育委員会が18日、同市八木入田の入田稲荷前遺跡で紀元14~40年にかけて中国古代国家の「新~後漢」で鋳造されたとされる貨幣「貨泉」3枚が見つかったと発表した。
 貨泉は九州や近畿、瀬戸内海沿岸などの遺跡で計179枚が見つかっている。兵庫県内でも7遺跡10枚に上る。
 入田稲荷前遺跡の3枚出土は、岡山県の高塚遺跡の25枚、福岡県の元岡・桑原遺跡群の8枚に次ぐ規模という。
 貨泉は中国・新時代(8~23年)の貨幣で、後漢時代の40年まで鋳造されていた。3枚は、直径2.27~2.32cm、重さは1.45~2.53g。重量約1・5~2・5g。中央に四角い孔(7~8mm)が開いており、片側の面に「貨」と「泉」の文字がある。大きさや重さから、後漢初頭に造られた可能性が高いと判断した。
讃岐・阿波地方から搬入された土器も出土した。
周辺に弥生時代の拠点集落跡もあり、吉備地方や四国を経由した交易などで流入したと推測される。
 南あわじ市では15年4月に祭祀道具「松帆銅鐸」7点が見つかるなど、弥生時代の青銅器が集中出土している。弥生時代最大級の鉄器工房である五斗長垣内遺跡や、中国鏡片が発見された舟木遺跡(いずれも淡路市)とは同時代に当たるため、瀬戸内海を通り畿内への玄関口となる淡路島の重要性を示す遺物としている。
 出土品は20日~7月2日に滝川記念美術館「玉青館」(南あわじ市松帆西路)で有料公開される。
[参考:神戸新聞、共同通信、産経新聞]

過去の関連ニュース・情報
 松帆銅鐸
 舟木遺跡
 五斗長垣内遺跡


古代中国の貨幣、淡路島で出土 交通の要衝示す
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南あわじ市松帆地区 松帆銅鐸のひとつが出雲市・荒神谷遺跡出土銅鐸と同笵と判明

2016年10月27日 | Weblog
 南あわじ市教育委員会などが26日、昨年4月に南あわじ市で出土した「松帆銅鐸」7個(弥生時代前期末~中期前半)のうち4個に、それぞれ同笵銅鐸があることが分かったと発表した。

 松帆5号銅鐸(高さ23.5cm)は、出雲市・荒神谷遺跡出土銅鐸6号(高さ23.7cm)と同笵と判明した。
  笵傷の付き具合から鋳造の順は、松帆5号は荒神谷6号より先と推定。
 松帆3号銅鐸(高さ31.5cm)と雲南市・加茂岩倉遺跡出土銅鐸27号(高さ31.4cm)が同笵。
 松帆2、4号銅鐸(高さ22.4cm、22.6cm)と南あわじ市の「中の御堂銅鐸」(高さ22.5m)が同笵。
  これらのうちでは、松帆2号銅鐸が最も後とみられる。
 また、松帆7号銅鐸は辰馬考古資料館(西宮市)所蔵の伊丹市中村出土銅鐸と同笵の可能性があるという。
[参考:神戸新聞、時事通信、共同通信、毎日新聞。読売新聞、南あわじ市HP]

南あわじ市 松帆銅鐸 新聞発表履歴
 2015年5月19日 南あわじ市(淡路島)で銅鐸7個が見つかる。
 2015年6月26日 銅鐸内に「舌」4本発見
 2015年8月13日 銅鐸にひもを初確認
 2016年2月7日 2号および4号銅鐸と江戸時代出土の中の御堂(なかのみどう)銅鐸が同笵と判明
 2016年10月14日 3号銅鐸と加茂岩倉遺跡の27号銅鐸が同笵と判明
 2016年10月26日 5号銅鐸と荒神谷遺跡の6号銅鐸が同笵と判明
         7号銅鐸と辰馬考古資料館(西宮市)所蔵伊丹市中村出土の銅鐸と同笵の可能性

過去の関連ニュース・情報
松帆銅鐸


淡路島で出土の4銅鐸 県内外に“兄弟”が存在

淡路と島根の銅鐸「兄弟」=流通解明の手掛かりに
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南あわじ市松帆地区 「松帆銅鐸」3号銅鐸と雲南市・「加茂岩倉銅鐸」27号銅鐸 同笵鋳型製と判明

2016年10月15日 | Weblog
 奈良文化財研究所などへの取材で14日、昨春、兵庫県南あわじ市で見つかった「松帆銅鐸」7個のうち3号銅鐸(高さ31・5cm)が、島根県雲南市で1996年に出土した「加茂岩倉銅鐸」(39個、国宝)の27号銅鐸(高さ31・4cm)と同じ鋳型で作られた同笵(どうはん)銅鐸であることが分かった。
 ともに、型式は外縁付鈕1式で、文様は4区袈裟襷文。鋳造時に表面に付いた細かい傷の位置もほぼ一致した。松帆3号には「王」、加茂岩倉27号には「土」のような線の記号が同じ位置に確認できたという。
[参考:共同通信、神戸新聞]
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南あわじ市松帆地区 松帆銅鐸、「ひも」を初確認

2015年08月14日 | Weblog
 奈良文化財研究所や同県教育委員会などが12日、兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった「松帆銅鐸」7個(弥生時代前期―中期)のうち2個で、上部の釣り手部分にあたる「鈕(ちゅう)」と、音を鳴らす棒「舌(ぜつ)」にひもが残っていたと発表した。
銅鐸や舌を吊り下げるためのひもが確認されたのは全国で初めて。「銅鐸を木などに吊るして鳴らしたことが裏付けられた」としている。・・・「聞く銅鐸」
 ひもが残っていたのはエックス線CT検査で、内部に舌が確認された3、4号銅鐸(ともに、弥生時代中期の外縁付鈕式1式)。二つの銅鐸は大きい方(3号)の中に小さい方(4号)をはめ込んだ「入れ子」の状態で、7月下旬に3号の中から4号を取り出し内部の砂を除去し調査した。
 3号は、鈕の頂部付近に太さ約2mmのひも(よりひも)と痕跡が残存。舌には太さ約5mmのひもを通し穴にくぐらせて縛って固定していた。
 4号は、鈕の頂部で複数本のひもの痕跡が残存。舌の穴に、太さ約4mmのひも(組みひも)が通った状態で残っていた。
 ひもの原料は麻か、イラクサ科の多年草「からむし」の可能性があり、ねじったり、組み合わせたりしており、太さ4~5mm。
銅鐸から溶け出した銅イオンの防腐効果で残ったとみられる。舌の下端や銅鐸内部にはイネ科などと推定される草の葉らしい植物も付着。
 13~16日に南あわじ市滝川記念美術館でひもの写真などが展示される。
[参考:読売新聞、奈良新聞、産経新聞、朝日新聞、神戸新聞、毎日新聞]

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南あわじ市松帆地区 弥生時代の古式銅鐸(松帆銅鐸)が7個出土



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南あわじ市松帆地区 弥生時代の古式銅鐸(松帆銅鐸)が7個出土

2015年05月21日 | Weblog
 兵庫県教委と南あわじ市教委が19日、同市(淡路島)松帆地区の砂利加工会社の砂置き場から、弥生時代前期末~中期初頭(紀元前3~同2世紀)のものとみられる銅鐸7個が見つかったと発表した。
銅鐸の出土数としては、
  ① 加茂岩倉遺跡(島根県雲南市、96年)39個
  ② 大岩山(滋賀県野洲市、1881年と1962年)24個
  ③ 桜ケ丘(神戸市灘区、64年)14個
に次ぎ4番目となる。
 今回見つかった銅鐸は、松帆地区の古津路(こつろ)、櫟田(いちだ)など、いろんな場所から砂を買って搬入したもので、銅鐸が埋められた場所は特定できていない。

 見つかった銅鐸はいずれも絵画が描かれていない古い時期のもので、高さは約22〜32cm、重さ1~2kg(一部は不明)。
  つり手(鈕)断面が菱形の「菱環鈕2式」が1個、 本体部分の両脇に飾り板が付いた「外縁付鈕1式」が6個
の2種類。 うち3組6個は、中に小型が入れてある「入れ子」状態で、残り1個は単独で破損した状態で見つかった。

 1、2号銅鐸 入れ子(発見時に分離されていた) 外側1号銅鐸は菱環鈕式2式 舌付属、 内側2号銅鐸は外縁付鈕式1式 舌付属
 3、4号銅鐸 入れ子 外縁付鈕式1式
 5号銅鐸 外縁付鈕式1式 (10片以上に破損) 舌付属
 6,7号銅鐸 入れ子 外縁付鈕式1式

 これらの銅鐸は松帆銅鐸と名付けられた
[参考:時事通信、産経新聞、毎日新聞、読売新聞、朝日新聞、神戸新聞]

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