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歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

向日市・五塚原古墳 川原石で築いた竪穴式石室が見つかる

2019年09月11日 | Weblog
向日市埋蔵文化財センターが6日、同市寺戸町芝山の五塚原(いつかはら)古墳(3世紀半ばから後半の築造、全長約91mの前方後円墳)の発掘調査で、竪穴式石室が見つかったと発表した。
大きさや形がふぞろいな川原石で石室を築いていた。
[参考:2019.9.6 共同通信]

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五塚原古墳に竪穴式石室、京都川原石で構築、移行期か




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向日市・五塚原古墳 前方部西側のくぼ地から石敷き跡を確認、祭祀施設か

2017年10月22日 | Weblog

 京都府向日市埋蔵文化財センターは18日、同市寺戸町芝山の五塚原(いつかはら)古墳(3世紀半ばから後半の築造、全長約91mの前方後円墳)で、前方部の西側にあるくぼ地(南北35m、東西25mの楕円状)から直径約3cmの小石が敷き詰められた跡が見つかり、古墳の付帯施設(祭祀場)として人為的に掘られた可能性があると発表した。 2001年の調査では、くぼ地は自然の地形と判断されていた。
 また、前方部西側の隅角を特定し、前方部が前期古墳特有の左右対称のバチ形の2段構造と確認された。
 現地説明会が21日午前11時~午後3時に開かれる。
[参考:2019.10.19京都新聞、毎日新聞、2019.10.21産経新聞] 

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 五塚原古墳


石敷き詰めたくぼ地確認、祭祀遺構か 京都・向日の五塚原古墳

<五塚原古墳>くぼ地に敷き詰めた石 人が掘った可能性高まる 向日 /京都

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向日市・五塚原古墳 昨年出土の埴輪棺は異形の朝顔型円筒埴輪 丹後型円筒埴輪に似る

2017年09月07日 | Weblog
 向日市埋蔵文化財センターの調査で、同市寺戸町の五塚原古墳(3世紀半ばから後半の築造、全長約91mの前方後円墳)で見つかった埴輪が、全国の発掘例で類例のない形状をしていることが判明した。
 埴輪は昨年9~10月に古墳の裾部分から出土したが、破片約300点を接合し、高さ約66cm・口径約20cmに復元した結果、全体的に上に向かって径が大きくなるが、上部が球状で開口部の立ち上がりが低い,特異な形状の「朝顔形円筒埴輪」である。一方、上部が球状なところは丹後地方の「丹後型円筒埴輪」に似ており、外観上の共通要素があるといい、製作技術が乙訓を介して丹後地方へ伝わった可能性を示すとしている。
 80年以上後に築造された近隣の妙見山古墳(4世紀中葉築造、全長約110mの前方後円墳)から運ばれ、五塚原古墳の主の子孫を納めた埴輪棺とみられるという。
 同センターは10月9日まで向日市寺戸町の市文化資料館で開催中の成果展「先祖の記憶―古墳時代の祖霊観」で復元した埴輪などを展示する。
[参考:京都新聞]

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 五塚原古墳

 2016年10月13日 首長の4代目血縁者?埴輪棺見つかる
 向日市埋蔵文化財センターは、五塚原古墳から、埋葬された首長の4代目の血縁者を納めたとみられる埴輪棺1基が見つかったと発表した。埴輪棺は、後円部の裾部で発見。[参考:京都新聞]


上部が球状、全国初の埴輪 京都・五塚原古墳で出土


キーワード: 五塚原古墳(いつかはらこふん)


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向日市・五塚原古墳 首長の4代目後の血縁者の埴輪棺が?

2016年10月13日 | Weblog
 向日市埋蔵文化財センターは13日、「五塚原(いつかはら)古墳」(京都府向日市寺戸町)から、埋葬された首長の4代目の血縁者を納めたとみられる埴輪棺1基が見つかったと発表した。
[参考:京都新聞]

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 五塚原古墳
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向日市・五塚原古墳 後円部が正円形と判明 遅くとも箸墓古墳と同時期に造られた

2015年12月17日 | Weblog
 向日市埋蔵文化財センターは16日、同市寺戸町の全長91.2mの前方後円墳「五塚原(いつかはら)古墳」(3世紀半ばから後半の築造)の後円部が正円形だったと発表した。
 同センターは9月から、後円部の東から北東にかけて2か所を調査。これまでの成果と照合したところ、直径約55mの正円形であることが判明した。 各段の下側に10~50cm大の石を巡らせ、斜面や平坦面に拳大の葺石を敷き詰めていた。
 古墳の東側は箸墓古墳と同様に、丘陵を削り平坦にしたところに盛り土をしていることが分かった。
 纒向古墳群(桜井市)の勝山古墳(全長115mの前方後円墳)をモデルにした可能性がある。
 また、正円形で3段の後円部と、2段の前方部で構成される古墳には、3世紀後半の西殿塚古墳(天理市)、4世紀前半の崇神天皇陵(天理市)などがあるが、五塚原古墳が大型前方後円墳の原点となった可能性があるという。
 同古墳の前方部の形状が、箸墓古墳(桜井市)と同時期の築造とされる東田(ひがいだ)大塚古墳(桜井市)と一致することも判明し、遅くとも箸墓古墳と同時期に造られたことがより確実になったとしている。
 現地説明会は19日(土)午前11時~午後3時に開かれる。
[参考:京都新聞、産経新聞、読売新聞、KBS京都、五塚原古墳第5次発掘調査現地説明会資料(立命館大学文学部)]

過去の関連ニュース・情報
五塚原古墳
2012.9.21
 五塚原古墳、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳の順で築造された。
2013.8.22
 前方部から後円部へせり上がる「隆起斜道」(推定幅6m)のうち幅1.5m分が長さ約2mにわたって確認された。
2014.10.21
 前方部が2段と判明し、構造が箸墓古墳と一致。後円部の平面形は正円でなく楕円形の可能性。

後円部は正円、大王墓の原点か 京都・向日、五塚原古墳(京都新聞)
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向日市・五塚原古墳 卑弥呼の墓説「箸墓」と同じ構造を確認

2014年10月21日 | Weblog
 京都府向日市埋蔵文化財センターは16日、同市寺戸町芝山の五塚原(いつかはら)古墳(3世紀後半、全長約91mの前方後円墳)の前方部の構造が、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓説がある箸墓古墳(奈良県桜井市)と一致したと発表した。
 2段で構成される古墳の前方部は、三味線の「ばち」型になっており、前方部を縁取る平たん面が先端に向かってせり上がっていることを確認した。前方部と後円部をつなぐくびれ部では途切れていた。
同センターは、全国約5200基の前方後円墳と前方後方墳の中で、この構造を持つのは箸墓と五塚原だけとしている。
 北に約1kmの場所にある日本最古の3世紀前半の祭殿遺構があった中海道遺跡(同市物集女町)との関連も指摘される。
 現地説明会が18日(土)に行われた。

過去の関連ニュース・情報
 五塚原古墳
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向日市・五塚原古墳 東側くびれ部で隆起斜道(スロープ)を確認 

2013年08月22日 | Weblog
 向日市埋蔵文化財センターが22日、同市寺戸町の五塚原古墳(3世紀後半、全長約91m)の発掘調査で、前方部から後円部へせり上がるスロープ「隆起斜道」(推定幅6m)のうち幅1.5m分が長さ約2mにわたって確認されたと発表した。
 同古墳は、奈良県桜井市の箸墓古墳(同約280m)と同時期で、約3分の1にサイズで築造された。
 
 現地説明会が24日(土)午前11時から開かれる。
[参考:共同通信、毎日通信]

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2012.9.21 向日市・元稲荷古墳 全長94mの前方後方墳と確定
 向日丘陵の古墳群で、五塚原古墳、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳の順で築造されたことがわかった。
 向日市教育委員会は五塚原古墳が、前方後円墳出現期を表す前方部の形はバチ形で、3世紀後半、全長91.2mの前方後円墳としている。
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向日市・元稲荷古墳 西求女塚古墳(神戸市)と形も規模もほぼ同じ

2013年03月01日 | Weblog
 向日市埋蔵文化財センターが28日、3世紀後半築造の前方後方墳の元稲荷古墳(京都府向日市)が、同時期の西求女塚古墳(神戸市灘区)と双子のように形も規模もほぼ同じことが分かったと発表した。 それぞれの被葬者は大和政権の同じランクに属し、どちらも政権が派遣した同じ職人集団が設計したのではないかとしている。
 元稲荷古墳はこれまでに、同時期の卑弥呼の後継者壱与(台与)の墓説がある西殿塚古墳(奈良県天理市)の2.5分の1の相似形で、築造技術も似ていることが判明し、また、卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳の約3分の1の規模であることがわかっている。
 1月からの調査で、後方部の西側で基底石や葺き石が出土し、墳丘の西端の位置を突き止めた。その結果、元稲荷古墳の全長が94m、後方部の幅、長さが50m、後方部とつながるくびれ部の幅は23m、前方部前端の幅47mと判明した。前方部は、これまでの調査で長さ約42mとしている。
 西求女塚は全長98m、後方部長さ・幅は50~52m、くびれ部幅が25m、前方部前端の幅49mで、2つはほとんど同じ大きさ。 細長い石を積み上げて葺く工法も似ているという。
 現地説明会は3月3日(日)午前10時半から開かれる。
[参考:共同通信、京都新聞、産経新聞]

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2012.9.21 元稲荷古墳 全長94mの前方後方墳と確定
 五塚原古墳(全長90mを超える前方後円墳)、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳の順で築造されたことが判明。
2012.2.15 元稲荷古墳 西殿塚古墳の2.5分の1で造営
 前方部の形が西殿塚古墳と酷似し、2.5分の1サイズと分かった。
 前方部と後方(円)部の長さの比率が、箸墓古墳とほぼ同じと分かった。 
2010.9.23 元稲荷古墳 くびれ部で葺石が多数出土し、造り方の技法が大和の大王級古墳と相似
 中山大塚古墳(天理市)や黒塚古墳(同市)と造り方が相似
2010.2.27 元稲荷古墳 葺石の構築方法に違い、複数の集団が関与か
2009.2.19 元稲荷古墳 後方部でも敷石が見つかり墳丘表面全体を石で覆う
 箸墓古墳の約3分の1の規模だったことが確認された。
 讃岐産の祭儀用土器片が出土。被葬者と讃岐地方との関連がうかがわれる。
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向日市・元稲荷古墳 全長94mの前方後方墳と確定

2012年09月21日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所と向日市埋蔵文化財センターは20日、元稲荷古墳(3世紀後半)と寺戸大塚古墳(4世紀初め)の発掘調査の成果を発表した。
 元稲荷古墳(向日市向日町)は前方部の端が見つかったため全長94mの前方後方墳と確定した。 築造時期が元稲荷古墳の後とみられていた近くの五塚原(いつかはら)古墳(同市寺戸町)が、向日丘陵の古墳群で最古になるとわかった。 したがって、五塚原古墳、元稲荷古墳、寺戸大塚古墳の順で築造されたことになる。
 現地説明会は22日に開かれる。 寺戸大塚は午前10時半、元稲荷は午後1時半から。
[参考:京都新聞]

五塚原古墳
 発掘調査などを行っていないので詳細は不明としている。したがって、同じ向日市のHPでも、市側と教育委員会がまとめた資料では、築造時期と全長など細かい違いがある。
 向日市は4世紀、全長約94mの前方後円墳とし、向日市教育委員会は3世紀後半、全長91.2mの前方後円墳としている。
 さらに、向日市教委の資料では、前方部の形はバチ形で、前方後円墳出現期の古墳であることを表していると記している。
 後円部は3段築成で、頂上には埋葬施設として竪穴式石槨が残っているという。
[参考:向日市HP、向日市教育委員会HP]

過去の関連ニュース・情報
 元稲荷古墳
  全長約92mの前方後方墳、3世紀後半
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