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歴歩

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宇治市・宇治遺跡 平安後期の寝殿造の建物跡が見つかる

2010年04月17日 | Weblog
 宇治市教委が16日、宇治市街遺跡(宇治市)から平安後期(11世紀中ごろ~12世紀中ごろ)の貴族邸宅の回廊跡や池を伴う庭園跡の一部が見つかったと発表した。藤原氏の別荘とみられ、摂関時代には「寝殿造(しんでんづくり)」だったことが初めて裏付けられた。 宇治市街遺跡は中宇治地区にある古墳時代から江戸時代に至る集落遺跡。
 見つかった回廊跡は、幅2.1m、長さ8.5m。直径30~40cmの柱穴8つが2つずつ対になって南北に伸びていた。回廊に沿う形で遣水(やりみず、幅1.5m)跡があり、北側の池跡につながっていた。
回廊跡の西側には、平等院の阿字池と同じ小石敷きの池(深さ0.5m)を伴う庭園跡があり、池跡は南北10m、東西7m分を確認し、さらに広がるという。
 平安京の貴族の邸宅は、寝殿から伸びる2つの回廊の間に、池を伴う庭園を配置する「寝殿造」で、今回の回廊跡や庭園跡も同様の配置であった。市教委は、池底にあった土師器から11世紀半ばに建てられ約100年間使われたとし、宇治一帯に広大な領地を持っていた藤原氏の別荘と判断した。
 一方、平安京の貴族の邸宅はいずれも南向きであるのに対し、今回見つかった別荘跡は北向きという異例の構造のため、巨椋池(おぐらいけ)や比叡山などが望める景観美を優先した、あるいは当時の上皇などとの権力闘争が背景にうかがわれる推測している。
 現地説明会は17日午後1時~3時に行われる。
[参考:京都新聞、産経新聞、読売新聞]

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