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三原市・三太刀遺跡 小早川氏中世の館跡? 御館(みたち)の裏づけ 

2008年06月24日 | Weblog
三原市本郷町本郷の三太刀遺跡(みたちいせき)の南側部分で中世の館跡を示す囲い跡が見つかった。
14世紀前後の遺構とみられ、約45cm幅の溝で、底に直径20cmほどの穴が約1m間隔に並ぶ。
竹や木を編んだ「柴(しば)垣」跡で、穴は支柱の跡らしい。
遺跡の場所は、小早川氏の最初の拠点とされ、「御館(みたち)」が語源という地名のいわれも裏付ける。
市教委は28日、本郷公民館(本郷町下北方)で現地説明会を催す。
[参考:中国新聞]

小早川氏
相模国土肥郷(神奈川県足柄下郡湯河原町土肥)を本拠地とした桓武平氏土肥氏から分岐。
土肥実平の子、遠平が小田原あるいは小田原付近の早川(早河)の地を与えられ、小早川を名乗った。
吾妻鏡・建久5年(1194)に小早川弥太郎の記述が見える。それまでは土肥弥太郎と記されていた。
小田原城は、元は小早川遠平の居館で、小早川城ともあるいは当時小田原城のすぐ北の小峰山(小田原市城山)にあったところから小峯城(小峰城)とも云われた。
源頼朝が守護・地頭を置いた時に、遠平は旧平家氏領の安芸国沼田庄(広島県三原市周辺)の地頭職に任じられる。
安芸国沼田に移り、住み、大きな勢力を伸ばしてくのは遠平・景平の後、茂平の代からと考えられている。
景平は平賀義信の子であり、土肥遠平の養子になったということは、平氏から源氏に代わったことを意味するのか。

遺跡から北1.5kmのところに小早川家菩提所米山(べいさん)寺があり、実平から代隆景に至る宝筐印塔20基が整然と並んでいる。殊に立派なもので一見の価値がある。

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