高麗時代、初雕大蔵経(초조대장경)奉安所(봉안처)で有名な曹渓宗八公山符仁寺(팔공산 부인사)の文化遺跡発掘調査現場で奉安場所とみられる建物跡など5基が現れた。
今回の発掘調査は、仏教文化財研究所発掘調査団が請け負い実施しており、1千400㎡の調査地域で現在9間まで確認され、東西に長く延びる側面1間の建物跡と南北上に形成された4間など、計5基の建物跡が発掘された。
建物跡から瓦の破片を除いて陶磁器類がほとんど出土しなかったことからみて、建物跡は儀礼用など特殊な用途と見られるとしている。
[参考:聨合ニュース]
備考
符印寺(夫人寺とも)は、創建年代と沿革に対して詳しく知られていないが、新羅27代善徳女王が創建した願刹として伝えられ、高麗玄宗~文宗の時に高麗初彫大蔵経を作ったことで知られている。この大蔵経は、モンゴル侵入の時大部分消失して、現在その一部が京都南禅寺に所蔵されている。
今回の発掘調査は、仏教文化財研究所発掘調査団が請け負い実施しており、1千400㎡の調査地域で現在9間まで確認され、東西に長く延びる側面1間の建物跡と南北上に形成された4間など、計5基の建物跡が発掘された。
建物跡から瓦の破片を除いて陶磁器類がほとんど出土しなかったことからみて、建物跡は儀礼用など特殊な用途と見られるとしている。
[参考:聨合ニュース]
備考
符印寺(夫人寺とも)は、創建年代と沿革に対して詳しく知られていないが、新羅27代善徳女王が創建した願刹として伝えられ、高麗玄宗~文宗の時に高麗初彫大蔵経を作ったことで知られている。この大蔵経は、モンゴル侵入の時大部分消失して、現在その一部が京都南禅寺に所蔵されている。
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