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亀岡市・丹波亀山城 石切り場跡から和歌山藩主・浅野幸長を示す刻印のある石を発見

2010年10月08日 | Weblog
 亀岡市教委が7日、江戸時代初期、幕府の命で改築された丹波亀山城(亀岡市荒塚町)の石切場跡で、和歌山藩主・浅野幸長(よしなが、1576-1613)が採石を担ったことを示す「あさのきい」と彫られた石が見つかったと発表した。
 亀山城は1577年頃、明智光秀が丹波国統治の拠点として築城。徳川家康もこの城を重視し、1610年岡部長盛を丹波亀山藩主に任じ、「天下普請」の一環として大修築し本丸に5層の天守閣が建てられた。
 市教委の調査で、城の北西約4kmの山裾に点在する石切場跡を初めて確認した。切り出しを担当した大名や家臣を示す刻印の入った石が、数多く見つかった。その中に、浅野紀伊守幸長を意味する「あさのきい」と彫られた石が、地上の露出部(幅2・2m、高さ0・7m)で見つかった
 幸長は名古屋城の築城にも加わっていた。普請には全国約50の大名がかかわったとされるが、掛け持ちが判明したのは初めてで、相当な負担がかかったと思われる。幸長が豊臣家に近かったことが災いした可能性があるという。
 ほかには、「三さ内」と読み取れるものもあった。市教委は、姫路城主・池田輝政の通称『三左衛門』ではないかと推測する。池田輝政の切石の刻印は、これまでに丸に「三佐」、丸に「左」、「三左内」がある。
[参考:読売新聞、毎日新聞]

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