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四条畷市・蔀屋北遺跡 5世紀中ごろの国内最古の馬の乳歯が出土

2010年03月05日 | Weblog
 大阪府教委は5日、四条畷市の蔀屋北遺跡で5世紀中ごろ(古墳時代中期)とみられる国内最古の馬の乳歯が出土していたことが分かったと発表した。当時から馬が飼育されていたことを裏付ける史料。
 見つかったのは臼歯部分で、最も長い歯は約8cm。乳歯はすり減るなどして、短くなっていたが、ほかの歯もほぼ揃っていた。新しい歯も形成されていることから、歯が生え替わる前の2~3歳の若い馬とみられる。骨や前歯は見つからなかった。
 遺跡一帯は日本書紀が河内馬飼と記す朝廷の牧場があったとされ、これまでに馬の全身骨格や鞍などの馬具も出土。百済系の土器が出土していることから朝鮮半島から来た渡来人が飼育していたとみられる。
[参考:共同通信]
大阪で国内最古の馬の乳歯出土 飼育を裏付け(共同通信) - goo ニュース

備考:今回添付されている写真は、下記特別展で展示されたものと同一に見えるが。説明文には「埋葬された2歳馬の歯。乳歯が痛ましい」と記されていた。

過去の関連ニュース・情報
■2009.11.28 「馬飼い」百済に起源 四條畷の資料館で特別展
 日本列島で本格的に馬の生産が始まったのは、古墳時代中期の5世紀、朝鮮半島からの渡来人の手によってだった。その全容を明らかにした四條畷市の「蔀屋北遺跡(しとみやきたいせき)」の発掘調査成果を紹介する特別展「馬は船にのって―蔀屋北遺跡の馬飼い集落から」が、同市立歴史民俗資料館で開かれている。12月13日まで(終了)。
 府教委が2001年度から06年度にかけて2万5000㎡を発掘。5世紀初めから、ほぼ200年にわたって営まれた渡来系の馬飼い集落跡を確認、様々な遺物も見つかった。
 丸木舟に舷側板を取り付け、外洋航海ができる「準構造船」(推定長さ10~12m)の部材を転用した井戸枠、櫂などが出土。準構造船の部材にはモミが使われており、朝鮮半島で造られたとみられる。これに載せて馬を運んできたらしい。
 出土した土器などから、集落には、百済から訪れた人々が住んでいたことが判明。市内では、5世紀初め~6世紀前半の馬の骨40~50頭分が出土していることから、飼育していたのは体高1・2~1・3mの小型の馬だったとみられる。
[参考:読売新聞、四条畷市HP→歴史民族資料館→平成21年特別展「馬は船にのって」]


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