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鎌倉市大町6丁目 「伝北条時政邸跡」北条時政邸跡ではなかった

2009年06月19日 | Weblog
 鎌倉幕府の初代執権北条時政の館があったとされていた場所は、時政の邸宅跡ではなかったことが市教育委員会の発掘調査でわかった。
 名称も「大町釈迦堂口遺跡」に変更された。
 調査では鎌倉時代の寺とみられる新たな遺構を発見。国の史跡指定を目指す。
 時政邸跡とされていたのは、鶴岡八幡宮の南東の衣張(きぬばり)山(120m)の麓で、周辺には、源頼朝の殺害を計画たとされる源義仲の家来の娘、唐糸(からいと)を閉じ込めたと伝わる横穴や、邸の裏門とされた切通もある。
 地元の研究家が「吾妻鏡」などに記された時政の「名越邸」跡と推定し、その後、中国の宋時代の青磁の鉢3点(いずれも国重要文化財)が発見されたことなどから、市もこの見解を尊重し、「北条時政邸跡」としていた。
 だが、昨年7~11月に発掘調査したところ、最も古い遺構でも13世紀後半で、13世紀前半に没した時政の邸宅としては矛盾することが判明した。
 発掘では、火葬痕跡や、周辺に複数の建物跡や「やぐら」と呼ばれる横穴が新たに見つかった29基を含め計64基確認されるなど、遺跡は未知の廃寺の可能性が高いと分かった。市は土地を買い取って一般公開することも検討するという。
[参考:読売新聞]

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 2008.12.9

北条時政邸跡ではなかった…名称変更、地図も書き換えへ(読売新聞) - goo ニュース
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