県埋蔵文化財センターは10日、立ケ花表遺跡で、8世紀後半ごろ(奈良時代後半~平安時代初め)とみられる須恵器の窯跡3基が出土したことを発表した。
うち1基は、傾斜を利用した、長さ12・4m、幅1・6-2m、深さ40cm。焚き口から木を燃やす部分までは傾斜、須恵器を焼いたとみられる部分は平たんなのが特徴でこのような形態の窯は県内では初めてとしている。
同遺跡は高丘丘陵の東側斜面に位置。この丘陵には、ほかに17遺跡あり約50基の窯跡が出土しており、須恵器生産の拠点と位置付ける。
同センターは13日午前9時半から正午まで、現地地説明会を開く。
[参考:信濃毎日新聞]
立ケ花表遺跡は昭和44年12月に発見された。1号址は大破されていたが、糸切底を持つ残存遺物が見つかっており9世紀初頭の窯跡、2号址はヘラ起こし底であることから8世紀末葉と推定された。2号址上方約22mのところに2基の窯跡(3号址、4号址)があることがわかった。
[参考:中野市立ヶ花表山古窯址調査/金井汲次氏]
同遺跡は、7本の銅戈が出土した同市柳沢遺跡の南南東3kmの位置にある。
うち1基は、傾斜を利用した、長さ12・4m、幅1・6-2m、深さ40cm。焚き口から木を燃やす部分までは傾斜、須恵器を焼いたとみられる部分は平たんなのが特徴でこのような形態の窯は県内では初めてとしている。
同遺跡は高丘丘陵の東側斜面に位置。この丘陵には、ほかに17遺跡あり約50基の窯跡が出土しており、須恵器生産の拠点と位置付ける。
同センターは13日午前9時半から正午まで、現地地説明会を開く。
[参考:信濃毎日新聞]
立ケ花表遺跡は昭和44年12月に発見された。1号址は大破されていたが、糸切底を持つ残存遺物が見つかっており9世紀初頭の窯跡、2号址はヘラ起こし底であることから8世紀末葉と推定された。2号址上方約22mのところに2基の窯跡(3号址、4号址)があることがわかった。
[参考:中野市立ヶ花表山古窯址調査/金井汲次氏]
同遺跡は、7本の銅戈が出土した同市柳沢遺跡の南南東3kmの位置にある。
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