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京都市中京区・右京三条三坊五町跡 平安時代前期の最大級の建物跡が見つかる

2017年08月04日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所は3日、平安時代前期の邸宅跡(中京区西ノ京扇町、当時の右京三条三坊五町)の発掘調査で、当時の京都で最大級の建物跡が見つかったと発表した。
島津製作所三条工場内の約2400㎡を調査した。9世紀前半に建てられた4棟分の掘っ立て柱の建物跡が見つかり、最大の建物は南北に庇(ひさし)を備える東西15m、南北11mの規模だった。この建物を含む2棟は、東西21m、南北9mの建物に建て替えられていたが、いずれも9世紀中に廃絶したとみられる。
 敷地は1町(約120m四方)と大規模で、大型建物が軒を連ねる状況から、高級貴族の邸宅とみられる。
 建物が廊下でつながらずに独立し、奈良時代の邸宅の様式が残っているという。柱穴も1辺約1mと大きい。
 これまでの発掘調査で、調査地の南側からは2棟の大型建物、東側からも建物跡や大量の土器や陶磁器が見つかっており、三位(さんみ)以上の高級貴族に与えられる1町規模の宅地だったとみられる。
 また敷地を区画したとみられる南北・東西方向の溝計3本が見つかり、溝から愛知県の「猿投(さなげ)窯」で作られた平安前期の緑釉陶器が大量に出土した。当時の最高級品で、冷然院跡など嵯峨天皇(786~842年)の関連遺跡でも見つかっている。調査地は、平安時代の宅地を記録した中世の「拾芥抄(しゅうがいしょう)」の古地図に、嵯峨天皇の皇子源融(とおる)(822~895)の別荘跡に建てられた棲霞(せいか)寺領と記されており、嵯峨天皇の家族か、ゆかりの深い貴族の邸宅だった可能性が高いとみている。
 現地説明会が5日午前10時~同11時半に開かれる。島津製作所三条工場の三条通南門にて入場受け付け。(小雨決行)
[参考:時事通信、共同通信、朝日新聞、産経新聞、毎日新聞、MBS毎日放送]

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