昨年9月に、「興福寺 創建当初の南大門の基壇跡出土」と発表された。
基壇は東西31m、南北16・7m、高さ最大1・4mで、南大門は東西23・4m、南北9m、高さは20m前後とみられ、また、東西両端では火災で失われたとされる2体の「金剛力士像」が安置された台座の基礎(2・8m四方)が見つかった。1辺1m弱の大きな凝灰岩の切り石が十数個並べられていた。その下からは焼け土が見つかり、最初に焼失した1046年以降に再建されたらしいとされた。
[参考:2090.9.25読売新聞、共同通信、毎日新聞、2009.6.21奈良新聞]
今回の奈良文化財研究所の調査で、基礎の切石の底にも焼けた痕跡があり、西側の切石の間から検出された木炭を、放射性炭素年代測定法で分析した結果、木の伐採は12世紀後半~13世紀初めと判明した。平安末期の平氏による南都焼き打ち(1180年)後、1187年の4度目の再建時期と合致し、この木が1277年の5度目の火災で焼け落ちた際、切石の間に入ったと考えられるとしている。
南大門は奈良時代前半の創建で、7度の大火で焼失。6度は復興されたが、江戸時代中期の1717年の火災後は再建されなかった。
[参考:読売新聞]
過去のニュース・情報
2009.9.25 興福寺 創建当初の南大門の基壇跡出土
基壇は東西31m、南北16・7m、高さ最大1・4mで、南大門は東西23・4m、南北9m、高さは20m前後とみられ、また、東西両端では火災で失われたとされる2体の「金剛力士像」が安置された台座の基礎(2・8m四方)が見つかった。1辺1m弱の大きな凝灰岩の切り石が十数個並べられていた。その下からは焼け土が見つかり、最初に焼失した1046年以降に再建されたらしいとされた。
[参考:2090.9.25読売新聞、共同通信、毎日新聞、2009.6.21奈良新聞]
今回の奈良文化財研究所の調査で、基礎の切石の底にも焼けた痕跡があり、西側の切石の間から検出された木炭を、放射性炭素年代測定法で分析した結果、木の伐採は12世紀後半~13世紀初めと判明した。平安末期の平氏による南都焼き打ち(1180年)後、1187年の4度目の再建時期と合致し、この木が1277年の5度目の火災で焼け落ちた際、切石の間に入ったと考えられるとしている。
南大門は奈良時代前半の創建で、7度の大火で焼失。6度は復興されたが、江戸時代中期の1717年の火災後は再建されなかった。
[参考:読売新聞]
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