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香川県まんのう町・安造田東三号墳 モザイクガラス玉は西アジアササン朝ペルシャ産と判明

2015年07月02日 | Weblog
 まんのう町教委は30日、同町羽間の「安造田(あそだ)東三号墳」(注1)から1990年に出土したモザイク模様のガラス玉(直径1.45cm)が奈良文化財研究所(奈文研)の調査で、西アジアのササン朝ペルシャ(226-651)産と判明したと発表した。
 西アジア産のガラス玉は国内では他に宮城県で出土例(注2)があるのみで珍しいという。
(注1)安造田東三号墳:7世紀初頭築造、直径約12m、高さ約3.5mの円墳。1990年に発掘調査を実施し、約8mの横穴式石室のほぼ中央に堆積した土の中からモザイク玉、勾玉、子持ち高坏、鉄製馬具などが出土した。
(注2)宮城県涌谷町の追戸横穴墓群(7世紀後半~8世紀前半)出土のトンボ玉のことか?

 モザイク玉の分析は、奈文研が昨年8〜9月に実施。金太郎飴のように棒状の赤や白、青色のガラスを複数重ね合わせ、束ねたものを切断して丸める高度な技術が使われていたことが判明。さらにガラスの主成分のケイ素の溶融温度を下げるための融剤に植物の灰を使っていることも判明。ガラスの種類や着色方法の分析からササン朝ペルシャが生産地とみられるという。
 同古墳は南北と東西方向の2本の交流ルートが交差する位置にあり、交通の要衝を治めていた豪族が、自らも交流に関わることで高級品を所持できたと考えられるとしている。
[参考:共同通信、四国新聞、毎日新聞、RNC西日本、NHK高松]

備考:
 宮城県涌谷町の追戸横穴墓群出土のガラス玉はトンボ玉、まんのう町の安造田東三号墳出土のガラス玉はモザイク玉、モザイクガラス玉、モザイク模様ガラス玉などと読んでおり、名称がばらばらである。


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