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奥州市 長者ヶ原廃寺に北門跡確認

2008年09月26日 | Weblog
 世界遺産登録を目指す「平泉の文化遺産」の構成資産の一つ、「長者ヶ原廃寺跡」(奥州市衣川区)の第11次発掘調査が終わり、24日、報道関係者らを対象に現地説明会が行われた。
 今回の調査で、未確認となっていた北門跡が確認できた。
 同廃寺跡は、奥州藤原氏が平泉一帯を統治する100年前に建てられたとされる寺院の跡。同市世界遺産登録推進室によると、1972年の第2次調査で見つかった土塁外側の堀跡が約4・7mにわたって途切れていることが確認された。さらに、その近くにある敷地区画用の築地塀跡もほぼ真ん中あたりが途切れていたことがわかり、この途切れた部分を人々が往来していたと推測される。
 また、堀の途切れた部分には、柱を立てたとみられる大きな穴の跡が2か所見つかり、北門の柱を据えたものと思われる。かなりの格式の寺だったことが推測されるという。
 同推進室は「北門跡の発見により、格式の高い寺だったことがわかった。世界遺産登録に向けての弾みになることを期待している」と話している。
 一般向けの説明会は28日に行われる。

長者ヶ原廃寺跡第11次発掘調査の現地説明会を下記の要領で開催します。
期 日: 平成20年9月28日(日) 13時30分より
会 場: 史跡長者ヶ原廃寺跡(奥州市衣川区田中西)
      ※国道4号から長者ヶ原廃寺跡への案内看板が出ています。
内 容: 北門跡の調査、東辺築地跡の検出

長者ケ原廃寺跡
 平安時代中期、AD1000年頃に建てられた寺院の跡で、1辺100mの築地塀で囲まれている。
 中には3棟の礎石建物、すなわち本堂(5間×5間)、西建物(3間×3間)、南中央に南門(3間×2間)があったとみられている。
 本堂(金堂)跡と南門跡の中軸線は南北方向であり、さらに南に延長すると中尊寺が鎮座する関山(かんざん)に到達する。
この寺院を建立したのは奥州藤原氏の祖先である安倍氏ではないかと考えられている。
 中尊寺も嘉祥3年(850)に慈覚大師円仁が関山弘台寿院として開山したといわれているが、確かな史料や発掘調査の結果はみられていない。
[参考:読売新聞、奥州市商工観光部商業観光課HP/おうしゅう旅浪漫]

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