村教委は25日、飛鳥時代(7世紀)の渡来系氏族、東漢氏(やまとのあやうじ)の拠点とされる檜前(ひのくま)遺跡群(奈良県明日香村)で、7世紀後半~8世紀前半の大規模な建物群跡が見つかったことを発表した。
東漢氏の氏寺される檜隈(ひのくま)寺跡に近く、同氏の居宅跡の可能性が高いという。東漢氏は、当時権力をふるった蘇我氏と密接な関係があったとされるが、日本書紀などでの記載は乏しく、今回の発見は一族の実態を知る上で貴重な資料となりそうだ。
建物跡は、檜隈寺跡の南約200mの見晴らしのよい尾根上に、5棟がほぼ1列に並んだ状態で見つかった。最大の建物は南北3・6m、東西10・5mの床張り構造で、すぐ南側には北側に庇の付いた建物跡(南北3・6m以上、東西5・4m)、中央部で間仕切り用の柱のある建物跡(東西7・5m、南北3m)などが見つかった。
東漢氏は、大陸の最先端技術を日本にもたらし、外交や軍事面で権力を築いたが、大化の改新(645年)による蘇我氏滅亡とともに衰退。677年には天武天皇に「七つの大罪を犯した」と指弾されたが、存続を許されて再び力をつけた。今回の建物群跡は、東漢氏の再興期に建てられた可能性が高く、一族の復興のシンボルとなる寺の造営や維持管理に携わった人が住んだのではないかとみている。約100年の間に3時期に分けられ、数回建て替えられたとみられる。東漢氏が飛鳥の都近くを拠点に暮らしていたことを裏付けた。
現地見学会が27日午前10時~午後3時から開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、前出]
東漢氏の氏寺される檜隈(ひのくま)寺跡に近く、同氏の居宅跡の可能性が高いという。東漢氏は、当時権力をふるった蘇我氏と密接な関係があったとされるが、日本書紀などでの記載は乏しく、今回の発見は一族の実態を知る上で貴重な資料となりそうだ。
建物跡は、檜隈寺跡の南約200mの見晴らしのよい尾根上に、5棟がほぼ1列に並んだ状態で見つかった。最大の建物は南北3・6m、東西10・5mの床張り構造で、すぐ南側には北側に庇の付いた建物跡(南北3・6m以上、東西5・4m)、中央部で間仕切り用の柱のある建物跡(東西7・5m、南北3m)などが見つかった。
東漢氏は、大陸の最先端技術を日本にもたらし、外交や軍事面で権力を築いたが、大化の改新(645年)による蘇我氏滅亡とともに衰退。677年には天武天皇に「七つの大罪を犯した」と指弾されたが、存続を許されて再び力をつけた。今回の建物群跡は、東漢氏の再興期に建てられた可能性が高く、一族の復興のシンボルとなる寺の造営や維持管理に携わった人が住んだのではないかとみている。約100年の間に3時期に分けられ、数回建て替えられたとみられる。東漢氏が飛鳥の都近くを拠点に暮らしていたことを裏付けた。
現地見学会が27日午前10時~午後3時から開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、前出]
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