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歴歩

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華城市吉城里土城 百済時代に築造された土城であることが明らかに

2008年10月11日 | Weblog
 華城市郷南面の「吉城里土城(길성리토성)」が3・4世紀頃漢城百済時代(BC 18-AD 475年)の 3・4世紀頃の土城だと明らかになった。
 8日韓神大博物館によれば、韓神大博物館は90年代中頃に発見されてから放置されてきた華城市郷南面吉城里土城に対して、2002年から調査を行ってきた。
 既存調査で漢城百済時代と推定される土器のかけらが発見されたが、城壁切開調査なしには時代判別が難しくて、先月16日に史上初めて城壁切開調査が実施された。幅1.5mで城壁を切開して、城壁切開中に3・4世紀頃百済時代土器片などを収去して、漢城百済時代の土城という意見が提示された。 調査結果、この土城は周囲約2.3km(注1)、幅7.9m、高さ2.55m相当の城壁で、低い丘陵性山地を利用して、色々な性質の土を多数積み上げた形態で築かれた土城壁であることが分かった。
 吉城里土城が漢城百済時代だと明らかにしながら、学界は同じ時代の河南慰礼城と推定されるソウル市松坡区風納土城と夢村土城などとも比較調査を進行している。
 学界関係者は「吉城里土城は風納土城に比べて規模が小さいが、他は構造と形態などがだいぶ似ている。丘陵性山地を利用して築がれた点と土で築かれた規模などが夢村土城とよく似た形態を示している」と説明した。

注1)ソウル松坡区風納土城の周囲は3.4km、その南側700m地点オリンピック公園内部に位置する夢村土城の周囲は2.2km。
[参考:10/9聯合ニュース]

備考:
 吉城里土城はソウルから南に約50kmほどの京畿道華城市郷南面吉城里にある標高112mを最大とする山の稜線に築かれた土城である。
 2002年韓神大学校博物館によって地表調査が実施され、削土法と盛土法を混用して築城された全周2,311mの土城と発表された。
 築城技法が、基底部に石列を使わない純粋な版築の土城だったこと、城壁の基底で出土した中島式硬質無文土器など、そして隣接した社倉里古墳との関連性から、概ね4世紀頃に築造されたと推定されていた。

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