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桜井市・箸墓古墳 2重の周濠が巡らされていたことが確実に

2009年09月15日 | Weblog
 市教育委員会が15日、邪馬台国の女王卑弥呼の墓の説がある桜井市の箸墓古墳(前方後円墳、全長約280m、3世紀半ば~後半)で、外濠の外縁部に盛り土の跡が見つかったと発表した。
 盛り土跡が見つかったのは古墳前方部の南側で、高さ約1m、幅5~11m。盛り土の内側は深さ約1・2~1・6m、幅50m以上の掘り込みになっており、外濠にあたるとみられる。堤のような施設とみられ、外濠が人為的に整備されたことを裏付ける史料。
 墳丘の周りではすでに内濠の跡が確認されており、市教委は「墳丘に2重の周濠が巡らされていたことが確実になった。」としている。
 さらに、その内側には高さ約1・5m、幅約6mの土の盛り上がりが新たに見つかり、内濠と外濠を隔てる「内堤」とみている。
 箸墓古墳の周濠はこれまでの調査で、内濠と外濠とみられる地面の落ち込みが部分的に確認されていたが、墳丘の築造に必要な土を手に入れるために地面を削り取ったまま放置したのか、人為的に整備したのか不明だった。
 二重周濠は古墳時代中期(5世紀)以降に多く、これまで最古の二重周濠は4世紀後半の津堂城山古墳(大阪府藤井寺市)とされていた。 外側の盛り土が堤ならば、津堂城山古墳を100年以上さかのぼることになり、箸墓古墳の特殊性を改めて裏付ける。
 現地はすでに埋め戻されており、説明会の予定はない。
[参考:共同通信、産経新聞、毎日新聞、朝日新聞、読売新聞]

過去のニュース・情報
 2008.8.27桜井市 箸墓古墳 前方部に幅60mの外濠

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