宮城県教育庁文化財保護課より、11月1日に行われる現地見学会の新たな情報が発表されました。
郡庁院(役所の中心施設)の東部から新たに役所に関連する建物跡とは宿泊施設である「館(たち)」と考えられようです。
[宮城県教育庁文化財保護課]
[10/7掲載分]
三十三間堂官衙遺跡は、宮城県の南部、阿武隈川が太平洋に注ぐ河口に位置し後背は阿武隈高地の北端となる亘理町にあり、平安時代の郡衙を中心とする遺跡で、宮城県内の官衙遺跡でも最南にある。遺跡には礎石群が10箇所以上あり、郡(こおり)という地名と規模の大きさから郡衙跡と推定され、奥州藤原氏の始祖である亘理権大夫・藤原経清(?~1062)の居城地としての関連が有力視され平成4年、国の史跡に指定された。
調査から9世紀前半から10世紀前半にかけて存在した陸奥国亘理郡衙の施設であることが明らかになっている。
これまでに、郡庁跡と見られる「コの字」型に並ぶ掘建柱建物跡や礎石式倉庫跡などが発見されている。
三十三間堂官衙遺跡(平安時代前半の郡役所跡)では、9月から今年度の発掘調査を実施しており、郡庁院(役所の中心施設)の東部から新たに役所に関連する建物跡や溝跡などが発見された。
調査成果説明会開催が予定されている。
日時:11月1日(土曜日) 午後1時30分から午後3時
場所:三十三間堂官衙遺跡 (逢隈下郡椿山・JR逢隈駅西部)
[参考:亘理町HP]
郡庁院(役所の中心施設)の東部から新たに役所に関連する建物跡とは宿泊施設である「館(たち)」と考えられようです。
[宮城県教育庁文化財保護課]
[10/7掲載分]
三十三間堂官衙遺跡は、宮城県の南部、阿武隈川が太平洋に注ぐ河口に位置し後背は阿武隈高地の北端となる亘理町にあり、平安時代の郡衙を中心とする遺跡で、宮城県内の官衙遺跡でも最南にある。遺跡には礎石群が10箇所以上あり、郡(こおり)という地名と規模の大きさから郡衙跡と推定され、奥州藤原氏の始祖である亘理権大夫・藤原経清(?~1062)の居城地としての関連が有力視され平成4年、国の史跡に指定された。
調査から9世紀前半から10世紀前半にかけて存在した陸奥国亘理郡衙の施設であることが明らかになっている。
これまでに、郡庁跡と見られる「コの字」型に並ぶ掘建柱建物跡や礎石式倉庫跡などが発見されている。
三十三間堂官衙遺跡(平安時代前半の郡役所跡)では、9月から今年度の発掘調査を実施しており、郡庁院(役所の中心施設)の東部から新たに役所に関連する建物跡や溝跡などが発見された。
調査成果説明会開催が予定されている。
日時:11月1日(土曜日) 午後1時30分から午後3時
場所:三十三間堂官衙遺跡 (逢隈下郡椿山・JR逢隈駅西部)
[参考:亘理町HP]
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