歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

大津市・滋賀里遺跡 河川跡から他地域の土器出を土確認、広範囲の交流を裏づけ

2009年10月08日 | Weblog
 大津市教委は7日までに、同市見世2の滋賀里遺跡(しがさと)で縄文時代後期(3000~4000年前)~古墳時代中期(5~6世紀)の河川跡が見つかり、その中から勾玉や石製模造品など祭祀に使ったとみられる遺物が大量に出土したと発表した。
 県内では産出されない石材で作られた石器や、北陸、東海地方の土器が出土し、周辺地域との活発な交流を裏付ける資料としている。
 滋賀里遺跡は48年に発掘調査が始まり、71年のJR湖西線の建設時にも大規模な調査が実施され、縄文、弥生時代の墓など多数の遺構が出土した。今回は宅地造成工事にあたり、2008年1~3月、今年が5月以降に計約1520㎡を調査したところ、東西に流れる川跡(長さ約20m、最大幅16・5m、深さ約1・8m)が確認され、周辺から石器や土器が多く見つかった。出土品は東西に延びる河川跡の南側から多く見つかった。川の左岸では、住居跡とみられる掘っ立て柱の柱穴12個も見つかり、集落が近くに存在したとみられる。
 縄文期から弥生期にかけての土師器や須恵器、石斧など石器の破片が、固まって大量に見つかった。土器には近江だけでなく北陸や尾張(名古屋市周辺)、大阪府の生駒山西麓で作られた土器の特徴を示しており、弥生時代後半には既に、広範囲の交流があったとみられる。遺跡では過去に、縄文時代晩期の指標となる「滋賀里式」の土器が出土している。
 弥生時代後期―古墳時代では、口縁部に波状の模様がある東海地方の特徴がある壺なども検出。
 古墳時代前期~中期(4~6世紀)では、丸底壺や、まじないのために顔料で赤く塗られた椀(直径5・5cm高さ2・5cm)や手ごね土器(直径4・5cm高さ4cm)などの小型土器が見つかり、川岸で祭祀が行われていた可能性があるという。さらに、祭祀に使われたとみられる有孔円盤(直径約2~3cm)▽勾玉(長さ約4cm、幅約1・5cm)▽剣形(長さ約4cm、幅約1・8cm)などの石製品も出土した。これらは祭器の鏡や勾玉、剣を模した滑石製の石製模造品とみられ、県内には産地がないため、別の地域から持ち込まれたとみられる。また、数珠状につなげて腕輪などに使ったとみられる大量の臼玉(同5mm)も見つかり、当時の人が河畔で豊穣などを祈ったと推定される。
 現地説明会が10日(土)午前10時半から現地説明会が開かれる。京阪石山坂本線・滋賀里駅の東南約200m。
[京都新聞、中日新聞、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞]



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 四日市市久留倍官衙遺跡 奈... | トップ | 大垣市・桂谷古墳群 1号墳か... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事