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四日市市久留倍官衙遺跡 奈良時代の総柱建物跡3棟を確認

2009年10月07日 | Weblog
 四日市市は5日、同市大矢知町の国史跡、久留倍官衙(くるべかんが)遺跡で、政庁の西側約571㎡を調査し、奈良時代(八世紀中ごろ)の総柱建物跡3棟を確認したと発表した。
 3棟とも高床式倉庫だったとみられ、うち2棟はいずれも床面積が約70㎡で、これまで県内最大だった鈴鹿市国分町の狐塚遺跡にある総柱建物(約60㎡)を上回った。
 総柱建物は、碁盤の目のように側面と中央に穴を掘って柱を立てた建物。並んで発見された2棟は東西約8m、南北約9mの長方形で、柱穴が東西4列、南北5列ある。残り1棟は床面積約55㎡の長方形で、柱穴は東西・南北に各4列あった。また、柱を抜き取った跡(一辺1m)が確認された。
 久留倍官衙遺跡は、朝明川と海蔵川とにはさまれた丘陵の東先端部に位置し、奈良時代の伊勢国朝明郡の役所「郡衙」跡とみられている。これまでにも正殿・八脚門備え、東を向いた政庁や米を保管する正倉院の跡が確認されており、2003年に総柱建物跡が発見された。
 50年前後の間に、政庁、詳細不明の東西の細長い建物群、倉庫群など、時期を追うごとに違う施設群に造り替えられていったことが調査で分かっている。
 市社会教育課によると、高床式倉庫は通常は米を入れたが、今回は規模が大きいので、何か貴重な物を入れていたのではないか。柱を抜いたのは、何かに転用するためだったのだろうとみている。
 朝明郡は「日本書紀」や「続日本紀」にも登場。壬申の乱(672年)には、大海人皇子が立ち寄った記載もある。
 現地説明会が10日午後1時から行われる。
[参考:伊勢新聞、毎日新聞、中日新聞、読売新聞]

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