文化財庁国立扶余文化財研究所は、王宮里遺跡(왕궁리 유적)から東に1.4km離れた帝釈寺址(제석사지、史跡 第405号)に対する2次調査の状況を明らかにした。
伽藍配置が基本的に百済泗沘時代(538~660年)の寺院と同一で、その規模が非常に大きかった。
すでに確認された木塔跡、金堂跡、講堂跡以外に回廊跡、中門跡、東西建物跡が確認された。
木塔跡中心から東に42m離れた地点で確認された東回廊跡は幅7.8mで、幅6.8mの弥勒寺跡回廊と比べて百済寺院回廊の中で最も広い。
木塔跡と金堂跡の間の西側で、木塔と規模・築造手法が同じ方形建物の基礎部(東西21.5m、南北20.8m)が新しく確認され、帝釈寺の造成および変遷様相を明らかにするのに新しい糸口ができた。建物基礎部は現在の地表下に130㎝の厚みが残っていて、緻密で精巧な地固め跡があった。この方形建物は木塔と規模・築造手法が同一だという点で木塔と類似の性格の建物であると推定される。
[参考:聨合ニュース]
過去のニュース・情報
2008.7.10帝釈寺址 百済三重基壇木塔跡の構造の解明に
伽藍配置が基本的に百済泗沘時代(538~660年)の寺院と同一で、その規模が非常に大きかった。
すでに確認された木塔跡、金堂跡、講堂跡以外に回廊跡、中門跡、東西建物跡が確認された。
木塔跡中心から東に42m離れた地点で確認された東回廊跡は幅7.8mで、幅6.8mの弥勒寺跡回廊と比べて百済寺院回廊の中で最も広い。
木塔跡と金堂跡の間の西側で、木塔と規模・築造手法が同じ方形建物の基礎部(東西21.5m、南北20.8m)が新しく確認され、帝釈寺の造成および変遷様相を明らかにするのに新しい糸口ができた。建物基礎部は現在の地表下に130㎝の厚みが残っていて、緻密で精巧な地固め跡があった。この方形建物は木塔と規模・築造手法が同一だという点で木塔と類似の性格の建物であると推定される。
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2008.7.10帝釈寺址 百済三重基壇木塔跡の構造の解明に
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