栗東市林の新善光寺の秘仏本尊である銅造阿弥陀三尊像が、栗東歴史民俗博物館の調査で善光寺式の仏像で、同様式では県内最古級の13世紀半ば鎌倉時代に造られたことが分かった。
これまで秘仏のため未調査だったが、調査の結果、中央の阿弥陀如来立像は高さ47cm、両脇の観音菩薩立像と勢至菩薩立像は各32・5cmで、両手の指の形、衣の質感などが善光寺式の特徴を持っており、形状などから13世紀半ばに造られたと判断した。
新善光寺は寺伝で、善光寺を熱心に信仰する人が1253年に創建したと伝えられており、秘仏本尊の造られた時期はそれと合致していた。
同館によると、善光寺式の阿弥陀三尊は長野市の善光寺の本尊を模した仏像で、鎌倉時代~近代に制作され、関東を中心に全国で数多く造られたという。同寺の像は神奈川県茅ケ崎市の宝生寺にある像(国の重要文化財)と作風が似ており、全国に広がった経緯を考える上で興味深い資料と話している。また、創建の伝承との関連も注目されるとしている。
現在、同博物館で開催中の展覧会「創造と継承-寺院復興」(12月7日まで)の中で、来月7日まで展示される。
[参考:11/14京都新聞、11/16毎日新聞]
近江新善光寺阿弥陀三尊像
開基については、鎌倉時代の中期、小松宗定が信濃の善光寺への48度の参詣を発願し、成就した日に霊夢で託宣を受けて、分身の阿弥陀如来を持ち帰り、建長5年(1253)1月13日、この地に一宇を建立して安置したのが始まりと言われている。
近江新善光寺略縁起によると、小松宗定は平重盛の末裔で、名前を平宗定といい、当地に遁れ住み、当地の地名を取り、高野宗定と称し、平家一門の菩提を弔うために開いたと云う。
これまで秘仏のため未調査だったが、調査の結果、中央の阿弥陀如来立像は高さ47cm、両脇の観音菩薩立像と勢至菩薩立像は各32・5cmで、両手の指の形、衣の質感などが善光寺式の特徴を持っており、形状などから13世紀半ばに造られたと判断した。
新善光寺は寺伝で、善光寺を熱心に信仰する人が1253年に創建したと伝えられており、秘仏本尊の造られた時期はそれと合致していた。
同館によると、善光寺式の阿弥陀三尊は長野市の善光寺の本尊を模した仏像で、鎌倉時代~近代に制作され、関東を中心に全国で数多く造られたという。同寺の像は神奈川県茅ケ崎市の宝生寺にある像(国の重要文化財)と作風が似ており、全国に広がった経緯を考える上で興味深い資料と話している。また、創建の伝承との関連も注目されるとしている。
現在、同博物館で開催中の展覧会「創造と継承-寺院復興」(12月7日まで)の中で、来月7日まで展示される。
[参考:11/14京都新聞、11/16毎日新聞]
近江新善光寺阿弥陀三尊像
開基については、鎌倉時代の中期、小松宗定が信濃の善光寺への48度の参詣を発願し、成就した日に霊夢で託宣を受けて、分身の阿弥陀如来を持ち帰り、建長5年(1253)1月13日、この地に一宇を建立して安置したのが始まりと言われている。
近江新善光寺略縁起によると、小松宗定は平重盛の末裔で、名前を平宗定といい、当地に遁れ住み、当地の地名を取り、高野宗定と称し、平家一門の菩提を弔うために開いたと云う。
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