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橿原市・菖蒲池古墳 墳丘東側に、堤と石敷き遺構が見つかる

2013年02月21日 | Weblog
 橿原市教育委員会が20日、菖蒲池古墳(7世紀中頃、一辺約30mの方墳)の東側で、墳丘と堀を囲む堤とみられる盛り土や、その外側に施された石敷きが見つかったと発表した。
 墳丘周囲に堀があり、その東側(墳丘から約20m)に版築技法により造られていた盛り土を確認した。 盛り土の東側には平らな面があり、南北4.5m、東西(幅)2m以上にわたって人頭大の川原石を敷き詰めた石敷遺構が出土した。 端の部分だけ板石を埋めて仕切りとしていた。
 通常は堤までが古墳で、その外側から施設が見つかるのは極めて異例。 外堤だった場合は墳丘を中心とした墓域が東西75m以上になると推測している。
 別の調査区では、墳丘の北東角も確認した。
 堀の幅は、古墳正面の南東角では約4mもあったが、奥の北東角では約20cmしかなかった。 古墳正面(南側*)から奥(北側*)に行くほど狭くなることも判明。正面から見た際の遠近感を出す工夫とみられる。 (*南北軸は西に約12度傾いている。)
 2011年の調査でも、墳丘東側で南北5.4m分の空堀が見つかり、底面幅が南側で4.3m、北側で3.5mだったことを確認し、遠近感で奥行きを感じさせる効果を意識した可能性があることが指摘されていた。
 古墳の被葬者は飛鳥時代の右大臣・蘇我倉山田石川麻呂(?-649)、興志(こごし、?-649)父子ら高位の人物とみられている。
 現地説明会は23日(土)午前10時~午後3時に開かれる。
[参考:共同通信、産経新聞、読売新聞、NHK奈良]

過去の関連ニュース・情報
2011.8.31 菖蒲池古墳 墳丘の東西幅が判明、東側から空堀も見つかる
 墳丘の東西幅が30・6m
2010.11.26菖蒲池古墳 2段構造の方墳と判明
 一辺約30mの方墳と判明
2010.3.30菖蒲池古墳 墳丘本体を初めて発掘調査、墳丘裾で石列が出土
 円墳と考えられていたが、2段構造の方墳ないし八角形墳の可能性が高くなったとする。
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