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八幡市・石清水八幡宮 大塔の遺構が見つかる

2010年11月05日 | Weblog
 八幡市教委は4日、石清水八幡宮(八幡市八幡)で、明治時代初めの廃仏棄釈で壊された「大塔(だいとう)」の束柱(つかばしら)の礎石や雨落ち溝とみられる遺構が見つかったと発表した。
 男山山頂の本殿から南西100m付近から、鎌倉期の再建時にできた雨落ち溝とみられる遺構が見つかった。
 さらに、東側の雨落ち溝の約1m内側で大塔の下部の周囲を巡る縁側を支えた束柱の礎石とみられる直径約40cmの石1基を確認した。溝跡で区切られる範囲や礎石の位置から、大塔の下部は一辺が約15mの正方形と判明、18世紀の図面などと一致したという。図面では、屋根の頂部までの高さは約27mで、現存する国内最大の根来寺(和歌山県)の大塔とほぼ同じだった。
 大塔は天永3年(1112)に白河法皇の発願で平正盛が建立。建久10年(1199)に炎上し消失。 鎌倉時代中期の建長5年(1253)に再建したとされている。
 現地説明会は6日(土)午前10時~午後3時に計5回開かれる。
[参考:京都新聞]

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1 コメント

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八幡神社 (もののはじめのiina)
2018-09-12 10:19:46
4万社余りある八幡神社の総本宮は、石清水八幡宮だと思ってましたが、大分県の「宇佐神宮」だと申します。

この神は風変りにも巫女の口を仮て託宣するのです。それも国政に関することばかりを・・・。
仏教が盛んになると「自分は昔インドの霊神」と託宣し、新時代に適します。

聖武天皇が大仏を造ろうと東大寺を建立するとき、八幡神は賛同の託宣をします。天皇は喜び、大仏殿の近くに手向山八幡宮を建て東大寺を守護します。

鎮護国家が仏教を受容した奈良朝のころ、仏が上で、神は下だったようです。僧たちは神々にありがたい経を聞かせて救おうとしたといいます。

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