戦国時代の剣術家、塚原卜伝(1489-1571)の居城とみられる塚原館跡が23日、初めて一般公開され、現地説明会が鹿嶋市沼尾の発掘調査現場で開かれる。
同館跡の発掘調査は、先月2日から続けていたもので、これまでに土塁跡や堀跡、三つの平たん地を確認。市教委は「卜伝の居城と断定はできないが、可能性は高い」と話している。
遺構や遺物の推定年代は、15世紀半ばから16世紀後半で、卜伝が城主を務めた1533年から1557年までの時代と重なる。
説明会は、午後1時半から3時半。
[参考:毎日新聞]
過去のニュースおよび情報
2009.11,28 鹿嶋市・塚原城 最有力地を発掘し戦国時代の遺構・遺物を発見
鹿嶋市教委は27日までに、戦国時代の剣術家・塚原卜伝(1489~1571)の養子先である塚原家が当主を務めたとされる塚原城(塚原館)の最有力地とされる鹿嶋市沼尾の発掘現場で、柱の遺構や陶器、銅製品などの遺物が見つかったことを明らかにした。今回出土した陶器や銅製品などの遺物は、15世紀半ばから16世紀末のものとみられている。
これまで城跡の推定地だったが、戦国時代の城の存在が確認されたことになるという。周囲には同様の城はないことから塚原城の可能性は高まっているが、塚原家があったことを証明できる遺物は出ていなく、塚原城と断定はできないとしている。城跡は北浦を望む標高35mの台地部にあり、天然の要塞となっている。
卜伝は鹿島神宮の神職の家に生まれ、幼少期に塚原家の養子となった。全国修業を終えて帰国し、44才(1533)の頃から68才(1557)の頃まで城主だったという。
発掘調査は今冬で終了する。
[参考:茨城新聞]
同館跡の発掘調査は、先月2日から続けていたもので、これまでに土塁跡や堀跡、三つの平たん地を確認。市教委は「卜伝の居城と断定はできないが、可能性は高い」と話している。
遺構や遺物の推定年代は、15世紀半ばから16世紀後半で、卜伝が城主を務めた1533年から1557年までの時代と重なる。
説明会は、午後1時半から3時半。
[参考:毎日新聞]
過去のニュースおよび情報
2009.11,28 鹿嶋市・塚原城 最有力地を発掘し戦国時代の遺構・遺物を発見
鹿嶋市教委は27日までに、戦国時代の剣術家・塚原卜伝(1489~1571)の養子先である塚原家が当主を務めたとされる塚原城(塚原館)の最有力地とされる鹿嶋市沼尾の発掘現場で、柱の遺構や陶器、銅製品などの遺物が見つかったことを明らかにした。今回出土した陶器や銅製品などの遺物は、15世紀半ばから16世紀末のものとみられている。
これまで城跡の推定地だったが、戦国時代の城の存在が確認されたことになるという。周囲には同様の城はないことから塚原城の可能性は高まっているが、塚原家があったことを証明できる遺物は出ていなく、塚原城と断定はできないとしている。城跡は北浦を望む標高35mの台地部にあり、天然の要塞となっている。
卜伝は鹿島神宮の神職の家に生まれ、幼少期に塚原家の養子となった。全国修業を終えて帰国し、44才(1533)の頃から68才(1557)の頃まで城主だったという。
発掘調査は今冬で終了する。
[参考:茨城新聞]
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