歴歩

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守山市・慈眼寺 木造薬師如来坐像 金箔下に鎌倉初期の造像当時の彩色

2008年11月16日 | Weblog
 市教委と琵琶湖文化館は13日、守山市吉身1丁目の慈眼寺(じげんじ)の「木造薬師如来坐像」(市指定文化財)が、はがした金箔の下の木地に鎌倉時代初期の造像当時の彩色が保存されていたと発表した。
 坐像は高さ145・4cm、平安末から鎌倉期の作とみられる。寺の薬師堂に安置されていたが、堂の老朽化を受けた再建に伴い琵琶湖文化館が保管。2006年5月から京都の仏師に依頼し修理を始めた。全身の金箔をはがしたところ、当初は木地の上に直接彩色されていたことが明らかになった。顔の部分だけが彩色されていた。墨で眉と口髭、顎髭が描かれ、唇には朱、目尻と目頭には青の顔料が塗られていた。金箔をはがした上で再度塗る予定だったが、今回の発見で当初の姿で保管することになった。
 初めは木地そのままの姿で安置されていたことから、木材への信仰がみてとれる。また、像には彫刻に向かない木の節や芯が見つかり、このような材質は神像に多く使われているという。もともとは仏と神両方の姿を表現した「本地仏」だったものが、時代が下って神像の性格を失ったとみられる。慈眼寺がかつて、神仏習合思想により神社に置かれた「神宮寺」だったこともあり、文化館は「像は当初、神宮寺の仏として神の性格も持ち合わせていたが、信仰心の変化で当初と異なる姿になったのでは」と推測する。
 文化館によると、制作直後と室町時代、江戸時代の計3回の修理跡があり、室町以降の修理で金箔が張られたとみられる。金箔を塗り、顔に土を塗るなどして表情を柔らかく変化させていたことも分かった。今回の修理で造像当初の精悍で厳しい表情がよみがえった。
 坐像は来年1月6日から18日まで安土城考古博物館(安土町)で展示する。
[参考:11/13京都新聞、11/14中日新聞]

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