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平等院 本尊「阿弥陀如来坐像」胎内の銅片、鳳凰像の尾羽と判明 創建時に境内に鋳造場の可能性も

2011年06月07日 | Weblog
 平等院(京都府宇治市)は6日、本尊・阿弥陀如来像(国宝)の胎内にあった銅の塊(最大長約5cm)と、銅の板片(同約10.6cm)の金属組成の分析結果を発表した。
 蛍光X線分析装置を使って分析したところ、塊と板片は組成は別であるが、ともにヒ素を含んでおり、銅とヒ素の分離精錬が始まる慶長年間(1596~1615)以前の鋳造という。
 銅の破片は、細長い銅板3枚を錨留めしたもので、1954年代に坐像修理時に胎内から見つかり、包んであった紙の記述から、江戸時代前期、寛文年間(1661~73)の修理の際に収められたとされる。 屋根を飾る北側の鳳凰像(国宝、高さ約98cm、幅約34cm)の尾羽の一部で、創建時のものではとみている。 鳳凰像は1053年完成の鳳凰堂の屋根に南北一対で据えられていた。現在のものは複製。
 塊は鋳造時の残留物とみられ、創建時に境内に鋳造場を置いた可能性があるとしている。
 銅の塊と板片は8日~7月24日、サントリー美術館(東京都港区)で始まる「不滅のシンボル 鳳凰と獅子」展で展示される。
[参考:共同通信、京都新聞、朝日新聞、毎日新聞]

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