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蒲郡市・上ノ郷城跡 戦国時代の空堀を発見

2011年06月10日 | Weblog
 蒲郡市教委は、上ノ郷城跡(同市神ノ郷町)で15世紀半ば築城当時の岩盤を削って造った堅固な空堀(幅7m、深さ2.5m)を見つけた。60度の急斜度で築かれていた。 本丸周辺をぐるりと取り囲んでいたとみられる。 徳川家康(当時・松平元康)が攻めあぐねたほど難攻な城だったことを裏付けた。 堀は戦国時代初期、鵜殿長善が設けたとみられる。
 堀の外側の斜面で、土を盛った堤と、柵を立てるための穴(直径30cm)4個が見つかった。本丸と堀までの落差は約10mあり、急斜面の上に城を建て、堀と柵をめぐらせていたとみられる。
 鵜殿長善の子・長将氏の時に今川氏に仕え、長将の子・長持は今川義元の妹を室に迎えたことで、今川氏の有力武将となった。 永禄3年(1560)、桶狭間の戦いで義元は織田信長に敗れた。 長持と今川義元の妹との間にできた子・長照は今川方に残り、織田方についた徳川家康(当時は松平元康)と戦った。家康は永禄5年(1562)、上ノ郷城を攻めようやくの末落城し、長照は討ち死にした。 落城後、家康の命で久松俊勝が城の拡張のため、堀は埋められたという。
 6月4日に現地説明会が開かれた。
[参考:2011.5.25朝日新聞、2011.6.4読売新聞、2011.6.9毎日新聞]

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 上ノ郷城跡


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