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城陽市・小樋尻遺跡 3世紀後半の導水施設が出土 日本書紀の記述を裏付け?

2020年11月13日 | Weblog
 京都府埋蔵文化財調査研究センターが12日、城陽市富野久保田の小樋尻遺跡(こひじりいせき)から3世紀後半に浄化した水を使って祭祀を行ったとみられる国内最古級の遺構や大規模な溝跡が見つかったと発表した。
 古墳時代後期に掘られた人工的な溝(幅11m、深さ1.8m)が見つかり、その下層から前期の自然流路(幅25m、深さ2.7m)が出土した。南東から北西向きに流れ、水流調整用に一部木材などを使った水路跡が出土。この西岸からは祭祀遺構も見つかった。
 出土した木材などから、木板(堰板、幅1.7m、高さ0.6m)で水路を仕切り、水を溜めた上で、上澄みを木板上部の切れ込みから、祭祀遺構側に木樋を通して浄化水を流していたとみられる。周辺から祭祀に使われた漆塗りの木琴や盾、勾玉や桃の種も出土した。
 いずれも一緒に出土した土器から4世紀前半に設けられ、同様の施設としては最古とされる纏向遺跡(桜井市)とほぼ同時期の遺構とみられるという。
 また、古い水路が洪水で埋まってしまったものの、古墳時代後期の6世紀代に再び掘られ、新しい水路が規模を縮小しながら設けられ、改修をしながら約200年にわたり奈良時代まで使われていたということも判明した。敷葉(しきば)工法という土木技術が用いられていた。
 調査地周辺は古くは「栗隈(くりくま)」と呼ばれ、木津川から離れているために古墳時代中期と飛鳥時代に灌漑用の導水施設が設けられ、田畑が潤ったとする記述が、日本書紀に見られる。

 仁徳天皇12年 冬十月、掘大溝於山背栗隈縣以潤田。 是以、其百姓毎年豐之。
 推古天皇15年(607) 是歳冬、於倭国、作高市池・藤原池・肩岡池・菅原池。 山背国、堀大溝於栗隈。

[参考:時事通信社、産経新聞、NHKニュース、ALCO]
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