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和歌山市・鷺ノ森遺跡 戦国時代の堀跡や1000年前後の仏具「鰐口」出土

2015年01月15日 | Weblog
 和歌山市と市文化スポーツ振興財団埋蔵文化財センターが9日、 弥生~江戸時代の集落跡・鷺ノ森遺跡(同市鷺ノ森南ノ丁)で、戦国時代末期の16世紀後半に造られたとみられる堀跡と、国内最古級とみられる小型仏具「鰐口」が発見されたと発表した。
 市教委文化振興課によると、調査地点一帯には16世紀後半、和歌浦から移転した浄土真宗寺院の鷺森御坊(注1)があったとされる。
(注1) 文明8年(1476)、蓮如に深く帰依した紀伊阿間(あま)郡冷水(しみず)浦(海南市冷水)の了賢(注2)が飯盛山に道場を設けたのが始まりとされる。その後、寺地は転々とした。
(注2)了賢(りょうけん)は冷水浦の住人で、俗名は喜六太夫(?~1492)。熊野参詣の途中の本願寺第8代宗主蓮如上人に出会い、上人に帰依し了賢となった。 紀州における「浄土真宗」の起源であると言われている。

 鷺森御坊は、永禄6年(1563)に和歌浦から現在の本願寺鷺森別院の場所に移転し、戦国時代に織田信長の勢力に対抗するために要塞化したと考えられている。 顕如が、石山合戦終結後の1580年に石山本願寺を信長に明け渡して鷺森御坊に移り、約3年間過ごした。
今回発見された堀跡は、東西に延びる幅約16m、長さ約60m、深さ約3mで人為的に埋められており、記録に残る鷺森御坊の外堀に相当する可能性が高く、東西200mほどの大規模な堀だったとみられている。 堀は江戸時代初期に埋められ、詳細は不明だった。
 現場からは鉄砲の玉が見つかったほか、以前の調査では刀の金具やよろいの破片も出土し、守備にあたった信徒や雑賀衆の実情がうかがえる。
鰐口は平安時代(9世紀末~10世紀初頭ごろ)の地層から黒色土器などとともに見つかった。 直径約9cm、重さ約350gの銅製。制作年代を示す銘はなかったが、同じ地層にあった土器などから、時代を特定した。 制作時期が明確な最古の鰐口は、長野県松本市の遺跡から出土した1001年の銘があるもの(東京国立博物館所蔵)とされる。 鰐口は、通常は寺院の軒先につるし音を鳴らす仏具だが、この鰐口は小型で、僧侶が携帯してお経を唱える際に鳴らしていたとみられる。 同時代の地層からは仏教や神道に関する出土品や遺構は発見されていないため、埋もれていた経緯などは不明。
 現地説明会が18日(日)午後1時半からを開き、発掘調査の成果を一般公開する。
[参考:和歌山新報、共同通信、読売新聞、朝日新聞、産経新聞、毎日新聞、 WTBテレビ和歌山、WBS和歌山放送]
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