滋賀県文化財保護協会は4日、彦根市松原町の松原内湖(ないこ)遺跡から、鎌倉時代末期に豊穣祈願や厄除けの正月行事として集落の境界につるした「巻数板/勧請板(かんじょういた)」が出土したと発表した。
毎年作り替えて古いものは燃やすなど廃棄したとみられ出土例が少なく、金沢市北部の堅田B遺跡(注1)に次いで全国で2例目となる。
巻数板は木製(樹種は不明)で縦12・8cm、横27・8cm。深さ50cmの穴に廃棄されたとみられる状態で出土した。
板の表面には、「疫流神等信心大施主」「息災延増長福寿」と記された墨書が鮮明に残っていた。文面は、元徳三年(1331)正月八日の日付で息災を願い仁王経や般若心経、観世音経を読み、灌頂(かんじょう、巻数板をつるした縄)と卒塔婆をそれぞれ12本掲げた記載がある。
湖東地域などでは、今も「勧請縄」や「勧請吊り」と呼ばれる同様の正月行事があり、同協会は中世と現代をつなぐ貴重な資料だとしている。
(注1) 堅田B遺跡の出土品: 3点のうち2点には、般若心経の筆写に続き「弘長三年(1263)」と「建長三年(1251)」+僧侶名+「敬白」と記されている。
当時の説話集「三国伝記」には石山寺(大津市)での模様が書かれている。「一遍上人絵伝」には、勧請縄の伝承や、卒塔婆を立てたり門柱の間に縄を掛け巻数板をつるす様子が登場する。
また、出土場所は集落入り口付近で、周囲に多数の柱穴があることから、現在の勧請縄と同様に出土した巻数板も集落の境界で災いが村に入るのを防ぐためにつるされたとみられる。
集落跡近くからの出土は他に例がなく、今回の巻数板は集落単位で行われる現在の勧請縄のような行事が鎌倉時代末期まで遡ることを示すという。
6日午後1時と午後3時からそれぞれ30分間、安土城考古博物館(近江八幡市安土町下豊浦)で巻数板が公開される。無料。問い合わせは同協会TEL077(548)9780。
[参考:京都新聞、産経新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]
<松原内湖遺跡>鎌倉末期の「巻数板」1枚見つかる 金沢に続き2例目、村落研究貴重な資料--彦根 /滋賀(毎日新聞) - goo ニュース
滋賀・彦根で鎌倉末期「勧請板」みつかる 現代に続く正月行事の風習(産経新聞) - goo ニュース
鎌倉末期の「巻数板」出土 集落の厄除け、滋賀で全国2例目(京都新聞) - goo ニュース
毎年作り替えて古いものは燃やすなど廃棄したとみられ出土例が少なく、金沢市北部の堅田B遺跡(注1)に次いで全国で2例目となる。
巻数板は木製(樹種は不明)で縦12・8cm、横27・8cm。深さ50cmの穴に廃棄されたとみられる状態で出土した。
板の表面には、「疫流神等信心大施主」「息災延増長福寿」と記された墨書が鮮明に残っていた。文面は、元徳三年(1331)正月八日の日付で息災を願い仁王経や般若心経、観世音経を読み、灌頂(かんじょう、巻数板をつるした縄)と卒塔婆をそれぞれ12本掲げた記載がある。
湖東地域などでは、今も「勧請縄」や「勧請吊り」と呼ばれる同様の正月行事があり、同協会は中世と現代をつなぐ貴重な資料だとしている。
(注1) 堅田B遺跡の出土品: 3点のうち2点には、般若心経の筆写に続き「弘長三年(1263)」と「建長三年(1251)」+僧侶名+「敬白」と記されている。
当時の説話集「三国伝記」には石山寺(大津市)での模様が書かれている。「一遍上人絵伝」には、勧請縄の伝承や、卒塔婆を立てたり門柱の間に縄を掛け巻数板をつるす様子が登場する。
また、出土場所は集落入り口付近で、周囲に多数の柱穴があることから、現在の勧請縄と同様に出土した巻数板も集落の境界で災いが村に入るのを防ぐためにつるされたとみられる。
集落跡近くからの出土は他に例がなく、今回の巻数板は集落単位で行われる現在の勧請縄のような行事が鎌倉時代末期まで遡ることを示すという。
6日午後1時と午後3時からそれぞれ30分間、安土城考古博物館(近江八幡市安土町下豊浦)で巻数板が公開される。無料。問い合わせは同協会TEL077(548)9780。
[参考:京都新聞、産経新聞、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞]
<松原内湖遺跡>鎌倉末期の「巻数板」1枚見つかる 金沢に続き2例目、村落研究貴重な資料--彦根 /滋賀(毎日新聞) - goo ニュース
滋賀・彦根で鎌倉末期「勧請板」みつかる 現代に続く正月行事の風習(産経新聞) - goo ニュース
鎌倉末期の「巻数板」出土 集落の厄除け、滋賀で全国2例目(京都新聞) - goo ニュース