同市貝沼の遺跡「一夜の城」の一部が、市道の拡幅工事で取り壊されそうなことが分かった。
「一夜の城」は高遠城址から約6km離れた段丘にある土塁で、縦横約60~80m、高さ最大約3m。天正10年(1582)、織田信長の長男信忠が武田勢の拠点の高遠城(伊那市高遠町)を攻めた際、本陣を置いたと伝えられる。「信長公記」に、長男信忠が武田勢との決戦前夜に「かいぬま原に御陣取」との記述があるが、現在は内側が畑になり、いわれを伝える標柱が立つのみで文化財指定はされていない。
住民は生活道整備として拡幅を強く求める一方、研究者らは「貴重な遺跡」と指摘。拡幅には東側の土塁を半分ほど削る必要があり、市は文化財保護法に基づき発掘調査と記録保存をするため昨年8月、県教育委員会に申請。しかし、県教委は「貴重な歴史遺跡」と現状保存を求め、回答の保留を続けており、工事は宙に浮いた状態になっている。
[参考:中日新聞]
「一夜の城」は高遠城址から約6km離れた段丘にある土塁で、縦横約60~80m、高さ最大約3m。天正10年(1582)、織田信長の長男信忠が武田勢の拠点の高遠城(伊那市高遠町)を攻めた際、本陣を置いたと伝えられる。「信長公記」に、長男信忠が武田勢との決戦前夜に「かいぬま原に御陣取」との記述があるが、現在は内側が畑になり、いわれを伝える標柱が立つのみで文化財指定はされていない。
住民は生活道整備として拡幅を強く求める一方、研究者らは「貴重な遺跡」と指摘。拡幅には東側の土塁を半分ほど削る必要があり、市は文化財保護法に基づき発掘調査と記録保存をするため昨年8月、県教育委員会に申請。しかし、県教委は「貴重な歴史遺跡」と現状保存を求め、回答の保留を続けており、工事は宙に浮いた状態になっている。
[参考:中日新聞]