こんばんは、ヨン様です。
ある物事に慣れてくると、ついつい慣れていなかったときのことなど忘れてしまうものです。
あるいは、初めから無意識的にあるスキルを身に着けている人も、それができない人の視点を理解することは難しい場合があります。
例えば、私の知り合いにプロのピアニストの母親を持つ知人Aさんがいるのですが、結局Aさんはピアノの演奏技術を身に着けることはなかったそうです。
というのも、ピアニストである母親のほうはかなり天才的なセンスを持っていて、誰に教わるともなく一人でピアノを弾けるような人で、Aさんがなかなか熟達しないのを理解できなかったようなのです。
そのようなギャップを感じ取ったAさんは、結局お母さんからピアノを習うことをやめてしまったのでした。
つまり、ずば抜けたスキルを持つAさんのお母さんは、そのようなスキルを持っていないAさんのもどかしさが理解できず、指導が成立しなかったということになります。
また別の場合を考えてみましょう。
例えば、ある新人アルバイトBが多忙を理由に仕事を休んだとします。
しかし、明らかに労働量もプライベートも忙しそうなベテランの同僚Cさんが、文句も言わずに働いていたとしましょう。
そんなとき、あなたが管理職だったら、Bさんのことをどう思うでしょうか。
怠惰だと思ってしまうのではないでしょうか。
実際に、職場の責任ある立場にある人から、同じような話を聞いたことがあります。
しかし、この場合にBさんのことを怠惰だと見なすことは、実は相当多くの事実を踏まえなければ、不当な評価ではないかと私は思っています。
特に新人の場合には、単純な労働量で評価することが不適切ではないでしょうか。
結果はまったく同じ10の仕事をこなすことは、ベテランにとっては10のコストだったとしても、新人にとっては20だったり30であったりすることがあります。
特殊な技能を身に着けている前提で現場に立つような場合(医師、教師などといった資格付きの専門的な職業)を除いて、もし新人でさえも結果のみに重点を置いて評価してしまえば、ベテランとの間で差が出るのは当然です。
管理的な立場に立つくらいの人であれば、自分が20とか30のコストをかけて10の仕事をしていた頃のことなど(時にはそれを美化しつつ)忘れてしまうことも多いでしょう。
そのことを棚に上げて、「10の仕事は10のコストとしてできて当たりまえ」などとみてしまうのは、明らかにバイアスがかかった評価だと言わざるをえません。
もちろん、企業の現場であれば、最終的には結果を出さなければなりません。
その意味で、ベテランになっても結果が出せない場合には当然問題になります。
一方で、専門学校でも卒業していない限り、民間企業の現場で新卒社員がいきなり戦力になることはまれで(そもそも大学でそのような教育を受けていない)、アルバイトに至ってはさらに顕著でしょう。
その点で、習熟過程にある人をベテランと同じ定規で評価することには、根本的な非合理性を孕んでいると言えます。
このように考えると、あらゆる現場において、初心者の心持というのは忘れてはならないのではないかと思います。
それは、一般的に理解されているような「初心を忘れない」という自戒的な念としてだけではなく、初心者の心持を忘れた人(あるいは、そもそも知らない人)が指導的立場に立つことの危険性を示唆する教訓としても重要です。
「簡単にできない人」の気持ちがわからない人の指導はしばしば苛烈で、仕事を辞めたりモチベーションを著しく低下させることになり、結果的に先ほどのAさんやBさんのようなことになりかねません。
これは明確に機会損失であり、お互いにとっても不幸なことです。
年を重ねてくると、指導的立場に立つことも増えてくるでしょう。
その時、人の未熟さを指摘することで、却って自らの未熟さを露呈してしまうことのないよう気を付けたいものです。
それでは!
ある物事に慣れてくると、ついつい慣れていなかったときのことなど忘れてしまうものです。
あるいは、初めから無意識的にあるスキルを身に着けている人も、それができない人の視点を理解することは難しい場合があります。
例えば、私の知り合いにプロのピアニストの母親を持つ知人Aさんがいるのですが、結局Aさんはピアノの演奏技術を身に着けることはなかったそうです。
というのも、ピアニストである母親のほうはかなり天才的なセンスを持っていて、誰に教わるともなく一人でピアノを弾けるような人で、Aさんがなかなか熟達しないのを理解できなかったようなのです。
そのようなギャップを感じ取ったAさんは、結局お母さんからピアノを習うことをやめてしまったのでした。
つまり、ずば抜けたスキルを持つAさんのお母さんは、そのようなスキルを持っていないAさんのもどかしさが理解できず、指導が成立しなかったということになります。
また別の場合を考えてみましょう。
例えば、ある新人アルバイトBが多忙を理由に仕事を休んだとします。
しかし、明らかに労働量もプライベートも忙しそうなベテランの同僚Cさんが、文句も言わずに働いていたとしましょう。
そんなとき、あなたが管理職だったら、Bさんのことをどう思うでしょうか。
怠惰だと思ってしまうのではないでしょうか。
実際に、職場の責任ある立場にある人から、同じような話を聞いたことがあります。
しかし、この場合にBさんのことを怠惰だと見なすことは、実は相当多くの事実を踏まえなければ、不当な評価ではないかと私は思っています。
特に新人の場合には、単純な労働量で評価することが不適切ではないでしょうか。
結果はまったく同じ10の仕事をこなすことは、ベテランにとっては10のコストだったとしても、新人にとっては20だったり30であったりすることがあります。
特殊な技能を身に着けている前提で現場に立つような場合(医師、教師などといった資格付きの専門的な職業)を除いて、もし新人でさえも結果のみに重点を置いて評価してしまえば、ベテランとの間で差が出るのは当然です。
管理的な立場に立つくらいの人であれば、自分が20とか30のコストをかけて10の仕事をしていた頃のことなど(時にはそれを美化しつつ)忘れてしまうことも多いでしょう。
そのことを棚に上げて、「10の仕事は10のコストとしてできて当たりまえ」などとみてしまうのは、明らかにバイアスがかかった評価だと言わざるをえません。
もちろん、企業の現場であれば、最終的には結果を出さなければなりません。
その意味で、ベテランになっても結果が出せない場合には当然問題になります。
一方で、専門学校でも卒業していない限り、民間企業の現場で新卒社員がいきなり戦力になることはまれで(そもそも大学でそのような教育を受けていない)、アルバイトに至ってはさらに顕著でしょう。
その点で、習熟過程にある人をベテランと同じ定規で評価することには、根本的な非合理性を孕んでいると言えます。
このように考えると、あらゆる現場において、初心者の心持というのは忘れてはならないのではないかと思います。
それは、一般的に理解されているような「初心を忘れない」という自戒的な念としてだけではなく、初心者の心持を忘れた人(あるいは、そもそも知らない人)が指導的立場に立つことの危険性を示唆する教訓としても重要です。
「簡単にできない人」の気持ちがわからない人の指導はしばしば苛烈で、仕事を辞めたりモチベーションを著しく低下させることになり、結果的に先ほどのAさんやBさんのようなことになりかねません。
これは明確に機会損失であり、お互いにとっても不幸なことです。
年を重ねてくると、指導的立場に立つことも増えてくるでしょう。
その時、人の未熟さを指摘することで、却って自らの未熟さを露呈してしまうことのないよう気を付けたいものです。
それでは!