ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
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「地球温暖化防止対策」は不自然な日本語なのか?

2016-12-01 23:23:49 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。


今日ツイッターで表題に関連するツイートを見かけました。
直接そのままの引用ではありませんが、どうやら「地球温暖化防止対策」を不自然な日本語だと感じる人がいるようです。
ツイッターのほうで書こうかとも思ったのですが、ちょっと長くなりそうなので、ブログにまとめたいと思います。

まず、「地球温暖化防止対策」という表現の違和感はどこからくるものなのでしょうか?
これはおそらく、「対策」という名詞の意味的な性質と関係がありそうです。

「対策」という名詞は、「~の対策」というような、意味的な空所を埋めることによって初めて何を指しているのか理解できるようになる名詞です。
なので、単に「政府は対策を講じた」などといった場合、文脈がなければ「政府」がどんな「対策」を講じたのかは確定できません。
このように、意味的な空所を持ち、その空所を埋めることによって初めて外延を確定できるような名詞は、言語学分野で「相対名詞」あるいは「非飽和名詞」などの用語で呼ばれ、相対名詞の意味的な補充を行う操作のことを、「相対(的)補充」などといったりします。
他にも相対名詞には、「原因」「理由」「結果」「前」「後ろ」「翌日」「前日」など、いくつも挙げることができます。
これらの名詞はいずれも「~の原因」などといったような要素を補わなければ、それ単独で意味を確定することができません。

「対策」という名詞も、意味的な空所を埋めなければ外延を確定できないという点においては、相対名詞とすることができるでしょう。
また、このように考えることにより、「地球温暖化防止対策」という表現の違和感を説明することが可能になります。
「地球温暖化防止対策」という言葉は、「対策」という相対名詞が要求する意味的な空所を「地球温暖化防止」という複合名詞が埋めている構造です。
しかし、これは解釈上極めて奇妙であるといわざるをえません。
「対策」という名詞は、「何らかの現象に対処する策」という意味であり、その「何らかの現象」の部分が、相対補充の要素となる名詞となります。
その相対補充を「地球温暖化防止」という複合名詞で行ってしまうと、「地球温暖化防止に対処する策」という意味になってしまい、まるで地球温暖化を促進しているかのような、現実の知識と合致しない解釈が得られてしまうのです。

このように、相対名詞である「対策」に対しては、「策を講じて対処すべき何らかの現象」を相対補充として伴うのが普通であり、「対策」行為の中身そのものである「地球温暖化を防止する」という意味的要素と複合させてしまうのは、「対策」という名詞の一般的な用法からずれてしまうわけです。
このようなことを避けるためには、「地球温暖化対策」として、「地球温暖化に対処する策」という自然な解釈を得られるようにしなければなりません。
以上が「地球温暖化防止対策」という表現を不自然に感じる要因であると考えられます。

では、「地球温暖化防止対策」という表現は、日本語として“間違い”なのでしょうか。
私は、実はこの考えは誤りであると考えています。
なぜならば、「対策」という名詞には相対名詞以外の用法もあるからです。
以下、「対策」の異なった用法についてみていきましょう。

名詞の中には、先ほど取り上げた相対名詞とは異なった意味的要素を受けることができるものがあります。
例えば、「巨大不明生物撃退作戦」という複合名詞の「作戦」という名詞について考えてみましょう。
この「作戦」という名詞が先ほど見てきた相対名詞と異なっているのは、複合している「巨大不明生物撃退」という意味的要素が「作戦」の中身そのものについて説明している、という点です。
つまり、「地球温暖化対策」という表現においては、複合要素である「地球温暖化」が「対策」行為の中身そのものを表していなかったのに対し、「巨大不明生物撃退作戦」の場合には、「巨大不明生物を撃退するという作戦」というような、いわば同格的な関係が成り立っているのです。
以上のように、その名詞で表された対象の中身そのものを説明する意味的要素を補うことを、「内容補充」と呼ぶことがあります。
内容補充を受けることができる名詞には、「計画」「予想」「事実」「内容」「思想」「こと」「とき」「日」などが挙げられ、いずれも「~という計画」(例えば、「人類補完計画」=人類を補完するという計画)のような、その名詞の内容そのものを説明するような意味的要素を受けることができます。
名詞の意味的空白を補う方法は、何も相対補充に限られないのです。

ここまでの議論を確認しておきましょう。
名詞の意味的空白を補う方法には、二通りの方法がありました。
ひとつは「相対補充」、もうひとつは「内容補充」です。
前者の場合には、補充要素自体は修飾する名詞で表された対象そのものの中身を説明せず、補充要素はむしろ名詞で表された対象の外延を確定するためのものでしかありません。
一方後者の場合には、補充要素自体が修飾する名詞で表された対象そのものの中身を説明しており、それ自体が実現される事物と見なされます。

ここで重要なのは、いわゆる相対名詞とされる名詞類のなかに、内容補充をうけることができるものが存在する、という事実です。
例えば、「理由」などはその代表例でしょう。


・彼が学校を休んだ理由は、妹の病気だった。

・妹の病気という理由で、彼は学校を休んだ。


前者が相対補充の例、後者が内容補充の例です。
両方の文ともほぼ同じ意味を表していますが、違いがお分かりになりますでしょうか。
ひとつめの文では、「彼が学校を休んだ理由」の修飾要素である「彼が学校を休んだ」は、理由の中身そのものではありません。
ここでいう「理由」とは、むしろ「妹の病気」というべきでしょう。
一方、ふたつめの文では、その「妹の病気」が「理由」を修飾しており、「理由」の中身そのものを説明しています。
ひとつめの文で「理由」を説明していた要素は、今度は文の後ろに位置しています。
このように、「理由」のような相対名詞にも、内容補充を行うような用法が存在するのです。

このことを踏まえ、最初に取り上げた「対策」の問題を再考してみましょう。
結論から言えば、おそらく「対策」という名詞にも内容補充を受けるような解釈が存在するのではないかと思われます。


・地球の温暖化対策として、CO2の削減を呼び掛けた。

・地球温暖化を防止するという対策を講じたことで、自然環境が改善された。


前者では、「地球の温暖化」は「対策」の中身そのものではなく、実際に行われる「対策」は「CO2」の削減となります。
一方後者では、「地球の温暖化を防止する」という行為が「対策」の中身そのものの説明になっています。
これはすなわち、「対策」に相対補充の用法と内容補充の用法が存在するということを意味しています。
つまり、問題となっていた表現も、例えば「地球温暖化防止作戦」と同じような内容補充として「地球温暖化防止対策」という複合名詞を解釈した場合には、日本語としてまったく文法的であるということになるのです。

ここまでの話をまとめておきましょう。
日本語において、名詞の意味的空白を埋める手段としては「相対補充」と「内容補充」があり、「対策」という名詞は一般的に前者の修飾を受ける「相対名詞」として解釈されます。
確かに、一見すると「地球温暖化防止対策」という表現は、「地球温暖化の防止」に「対策」を打っているように思え、日本語として引っかかるところがあります。
しかし、「対策」には内容補充としての用法も存在します。
「地球温暖化防止対策」という表現も、これを内容補充として解釈する限りにおいては全く文法的であり、一見すると規範から外れているように見える複合構造も、日本語に見られる修飾構造を使い分けた結果であると考えることが可能になります。

ただし、「対策」が内容補充の用法を持っているといっても、複合名詞構造となった時には相対補充を行っている解釈となるのが一般的なようです。
これは「理由」「結果」など、内容補充の用法をもつその他の相対名詞についてもいえることであり、無用な誤解を避けるためにも、特別な事情のない限りは相対補充の用法として使用するのが穏当だといえるでしょう。


以上、「地球温暖化防止対策」という表現についてお話いたしました。
世の中には「あれ?」という日本語が多く溢れていますが、多くの場合、その背後には規範的に知られているものとは別の規則性が存在します。
不自然だと思った日本語を短絡的に「間違いだ」と切り捨てるのではなく、隠されたルールを発見してみるのも面白いのではないでしょうか。

それでは!